원문정보
초록
일본어
呪術的ないしイデオロギ的な色合いの濃いいわゆる「神代」に、日本固有の文字があったのかどうかをめぐって展開した論争のうち、平田篤胤と伴信友はそれぞれ存在論と非存在論を代表する人物として取り上げられてきた。本稿は、このような従来の評価について再吟味を試みたものである。伴信友は『仮名本末』で『古語拾遺』等の記事をもとに、上代に文字が存在しなかったことを強く主張する。これは、『古史徴』や『神字日文伝』を通じて<神代文字>の存在を積極的に主張した平田篤胤とは対立する見解であり、たとえばハングルが日本の「肥人書」を真似て作られたものであるとする平田篤胤の説を否定し、「吏道」の変形こそ<神代文字>の実体であるとする主張に代表される。ただし、伴信友は、世に写し伝えられているとされる<神代文字>がハングルと似ている理由を説明する際、それは新羅の薛聰が作った「吏道」が日本に伝えられ残っているものだとしたり、世宗が創製したハングルは「吏道」の変形だとしたりするなどの謬見を提示する。要するに、ハングルが「肥人書」の偽作であるとすることと「吏道」の変形であるとする主張は、<神代文字>の有無を論ずるうえで正反対の結論を導いているという点において全く逆であるが、その論証の過程に注目した場合、伴信友と平田篤胤は共通の認識に基づいていたと捉えざるをえないのである。それは、本居宣長以降、面々と受け継がれている「皇国」の「正音」こそ最も優れているとする態度に他ならない。そして、ハングルにたいする間違った理解を出発点として自らの主張を合理化しようとしたという点においては、従来の韓語研究者たちの成果を全然受け継いでいないという共通点もある。
목차
1. 들어가기
2. “肥人書”를 중심으로 본 伴信友와 平田篤胤의 접점
3. 이두와 <神代文字>
4. 맺음말
参考文献