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초록
일본어
本稿は、朝鮮総督府官報に掲載されている「朝鮮訳文」の韓国語文と、当代の他資料との比較検討を通じて、日本語を韓国語に訳する際、日本製漢字語を多数取り入れたり、漢文体を採用するようになった背景等について考察したものである。漢文体に関しては、『独立新聞』のように、その採用に批判的な立場がある一方、池錫永と林圭のように違った観点を持っている人物もいた。要するに、漢字語を積極的に採用することによって、外国の文物を理解しようとする試みも一方にはあったのである。とりわけ、林圭の場合は『日文訳法』のなかで、朝鮮総督府官報に先立って日本語の文語体を韓国語に対訳する方法を提案しており、それがほとんど「朝鮮訳文」に受け継がれている。「朝鮮訳文」のもつ韓国における日本語教育史での意義の一つとして、日本語学習にたいする現実の必要に応じて司譯院で『捷解新語』のような日本語学習書が作られる時代から、民間主導の学習書製作の時代を経て、官、つまり朝鮮総督が強制する形に転換した時代に、初めて公にされた産物の一つであるということを挙げることができよう。このような流れのなかで、「朝鮮訳文」は後続研究を促す触媒としての役割も担っていたものと考えられる。
목차
要旨
1. 들어가기
2. 조선총독부관보의 한국어문
3.『捷解新語』의 경우
4.『독립신문』의 기술방식
5. 지석영의『言文』
6. 임규의『일문역법』
7. 金沢庄三郎의「朝鮮の漢語に就て
8. 조선총독부관보와 타 학습서의 비교
9. 맺음말
参考文献
1. 들어가기
2. 조선총독부관보의 한국어문
3.『捷解新語』의 경우
4.『독립신문』의 기술방식
5. 지석영의『言文』
6. 임규의『일문역법』
7. 金沢庄三郎의「朝鮮の漢語に就て
8. 조선총독부관보와 타 학습서의 비교
9. 맺음말
参考文献
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참고문헌
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