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바쇼(芭蕉)와 에쓰진(越人)의 하이카이를 통한 교류에 관한 고찰

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The Consideration for the View of Haikai from Bashō and Esujin

許坤

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초록

일본어

越人が芭蕉の門人となったのは、『俳諧七部集』の第一集『冬の日』興行の折であると伝えられている。そして蕉風作家として、華々しく俳壇に登場したのは、第二集『春の日』であり、引き續き第三集『曠野』時代である。蕉門俳諧の初期に芭蕉の俳諧改革に協力し大きな役割をした彼は、当時、江戸俳壇の中心になりつつあった蕉門俳諧が本格的に軌道に乗っていた時には、自分の俳諧に傾倒しすぎる傾向が見られ始めた。理智的で古典的だった越人の俳諧の傾向はますます深くなっていきながら道德的で敎訓的な性格に変わってしまったのである。結局当時自分の主な活動の舞台であった名古屋俳壇の保守性を克服することができなかった越人の俳諧は、回顧的で自慰的俳風の中に埋沒されるようになったのである。その後、蕉風に反する獨自の俳風を追求することによって、結局は大衆に愛される俳諧よりは自己陶醉の俳諧に終わるにすべなかったのであり、蕉門俳諧の發展に大事な役割を果たすべき立場から大きく退いてしまったのである。しかし師匠の芭蕉とは死ぬまで人間關係が終始変わらなかったのであり、蕉門に残した彼の足跡は決して侮ることはできないものといえる。運命に恵まれず非運な人生を生きていた越人であるが、芭蕉との俳諧と書簡文を通じて交わったつきあいは彼の人生の中の唯一の楽しみと慰めになったのではなかろうかと思うのである。

목차

要旨
 1. 序論
 2. 에쓰진의 하이카이 세계
 3. 바쇼와 에쓰진의 교류
 4. 서간문을 통해서 본 에쓰진
 5. 結論
 參考文獻

저자정보

  • 許坤 허곤. 강원대학교 교수, 일본근세문학

참고문헌

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