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초록
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1980年代の韓国では、高度経済成長を背景に産業化が進み、様々な公害問題が発生した。韓国の南東部に位置する温山工業団地は当時の政権の経済政策の中で造成され、1974年に操業が始まった。1983年頃からこの温山公団で原因のわからない奇病の症状が居住住民に現れ、公害病ではないかという疑問が生じ、やがて1985年、韓国の新聞に‘温山公団の住民約500人にいたいいたい病のような症状が現れた’と報道された。これを機に公害問題は社会的に関心を呼び起こすようになった。いわゆる‘温山病’とよばれるこの病気が発生する以前から韓国では反公害運動の組織が発足され、温山病の原因究明や被害住民の補償問題などを巡り活動を広げていた。1982年発足した韓国公害問題研究所は反公害運動を展開した韓国最初の民間運動組織である。しかしながら、当時の韓国は軍部独裁政権の支配下におかれており、反公害運動を展開するための政治的機会が限られていた。しかも当時の政権の経済政策を非難するようなことは禁じるべきことであり、経済発展のために公害はある程度やむを得ないという認識が強い時期であった。このような社会的․政治的状況の中で韓国公害問題研究所は温山病を巡る運動を進めていったが、運動の展開過程の中には日本の公害病や公害問題を意識し、日本の反公害運動との関係も形成していた。日本は韓国より早い段階で経済発展を成し遂げ、水俣病やいたいいたい病のような悲しい公害病発生の歴史を持っている。したがって、公害病の調査や対策に関する研究などが蓄積されており、韓国の反公害運動家らは日本の経験を参考にしたり勉強したりしていた。そして、日本の水俣病に関する研究や運動家として著名な故原田正純先生を始め日本の調査団が1986年10月に温山公団を訪問し原因調査を行った。一方、当時韓国の工業団地には日本との合併企業が多く操業していたが、日本の企業は日本での反公害の世論に押しきられ自国の公害産業を整理し、外国投資の誘致に熱心であった。日本による公害企業の輸出に対して韓国公害問題研究所は批判的な態度をとっていた。このような考察を通して韓国の反公害運動の展開には日本の公害病や公害問題が影響しており、関連していることを明らかにした。
목차
1. 머리말
2. 1980년대 한국의 사회적 · 경제적 상황과 온산병의 발생
3. 한국 공해문제연구소의 발족과 반공해운동의 전개
4. 일본의 공해에 대한 인식과 반공해운동과의 관계
5. 맺음말
참고문헌