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초록
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3․11以後、原子力に関する様々な言説がつくられるなかで、科学の技術力をベースにした「原子力」表象は、まるで目にみえるかのように取り扱われている。本論文では、戦後日本における原子力表象の問題を、表象不可能性に焦点を合わせて考察することによって、こうした傾向に対し批判できるトポスは如何に可能なのかを検討する。広島原爆直後行われたトルーマン大統領の声明文から読み取れる原子力の表象不可能性は、日本においてはじめて原爆を表象できた作品として知られている原民喜の「夏の花」においてもあらわれている。前者においては表象不可能性は、科学技術の難解さと国家的秘密によるとすれば、後者においてそれは個人のレベルで体験した被爆があまりにも超越的な経験であるが故に言語化することがむしろ反リアルだったという判断による。こうした表象不可能性は、冷戦に入ってからは問題化されなくなるが、1954年日本漁船の被爆事件のあと、三島由紀夫や大江健三郎のテクストにおいて再び問題化される。三島は、被爆者側にとって原爆表象は不可能であるという前提した上で、原爆表象は投下者によってのみ行われ、やがて彼の内面的な問題を引き起こすと主張した。それに対し、大江は原爆のみならず原子力がもつ表象不可能性を、制度的な側面と科学的な側面からだけではなく、被爆者や死者、生き残る人々の倫理性とかかわる問題であると述べた上で、表象不可能性としての原子力がもたらす「悲惨さ」を想像力によって積極的に思い描くことを、戦後日本における新たなモラルとして示そうとした。こうした戦後の文学者たちがこだわった原子力の表象不可能性は、3․11以後大量に産み出され、又すぐ「消費」される被爆及び原子力言説を考えるさい、貴重な参照となることが期待できる。
목차
1. 과학적 언설 속에 가려진 표상불가능성으로서의 '원자력'
2. 초기 '원폭' 담론 속에 나타난 표상불가능성 - 트루먼의 성명과 하라 타미키의 『여름 꽃』속의 원자력
3. 미시마 유키오의 '원자력' - 피폭자로부터 투하자의 내면으로
4. 오에의 '원자력' - 투하자의 내면에서 피폭자의 윤리로
5. 나가며 - '표상불가능성' 시대의 도래
참고문헌