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초록
일본어
日本においての〈怪談〉とは古くから民衆に親しまれてきた大衆文化のひとつである。文学としての〈怪談〉は江戸期の出版技術発展にともない興隆し、それらはやがて落語家、講談師の速記本となり近代の大衆にも親しまれた。幽霊や妖怪の現れる〈怪談〉は近代の合理主義によって〈迷信〉的なものとして排斥されながらも、消滅するどころか、明治期․大正期にかけての「怪奇」「怪談」ブームとなり、活発に出版され読まれていた。本稿はそのような内地日本の「怪談」ブームの時期に、植民地朝鮮の在朝日本人雑誌『朝鮮公論』(19131944)文芸欄に掲載された〈怪談〉を考察したものの一部である。ここで分析する1921年3月号載の「石獅子の怪」というテクストは、同雑誌の他の〈怪談〉にはほとんど見られない〈朝鮮の話し〉を中心に書かれているところにその特徴がある。さらに、その主人公が朝鮮王朝の皇后「閔妃」であるという点で、日本人が当時共通に認識していた〈朝鮮像〉〈閔妃像〉を知る意味においても重要な作品といえる。「閔妃」が重病にかかり、それを〈迷信〉的な方法で治療したという内容が〈怪談〉として語られる意味はどのようなものであるのか。また、作品における「閔妃」の役割は何かを探り、当時の在朝日本人が持っていた〈朝鮮観〉と〈迷信〉との関わり、さらにはこの〈怪談〉の背景にある無意識的植民主義などの考察を目的としている。植民地の〈怪談〉というジャンルは、何を〈怪異〉として語るのか、時代の脈略のなかでどのようにその〈怪談〉が機能するのかという「視点」を探ることは、内地日本の〈怪談〉には見られない、支配層と被支配層という二重的社会構造を持つ植民地朝鮮での〈怪談〉の特異性を浮彫りにすることだといえる。
목차
1. はじめに
2. 硏究對象
3.「閔妃」というメタファ-
4. 展示物としての景福宮
5. おわりに
參考文獻