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縁海警固と「九世紀」の黎明

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The defense posture of the marginal region in the Hōki era

鄭 淳 一

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초록

일본어

本稿では、宝亀十一年七月、縁海諸国に対して二回にわたり警固命令が勅の形で下された背景について考察した。まず、北陸道への警固命令は、宝亀年間に入ってから渤海使が大規模化(人数․船数両面)するにつれ、日本側は外交文書形式․内容の充実化、「北路」来航禁止(大宰府への入港)を求め続けるが、結局、貫徹されず、従来の方針を転換する過程で出されたものと理解した。大規模な渤海使の来航を受容する代わりに厳重警固を通じて「賊船」到来の可能性に対応したのであり、その時、出羽地域においての蝦夷の動向も意識されたと推察した。ついで、山陰道の因幡․伯耆․出雲․石見、山陽道の安芸․周防․長門、また大宰(西海道)に縁海警固が命じられた背景としては、「流来新羅人」のような不特定多数の来航者の増加、新羅使に対する来航資格審査強化の必要性増大をあげた。最後に、宝亀年間における縁海警固の背景、すなわち、日本列島の「北」と「西」で同時多発的に現れ始めた来航の新局面は、異国人の殺到とそれに対する危機意識の表出、という特質をもつ九世紀の時代像(特に辺境状況)と同質性ないし連続性が認められることから、宝亀年間を「長い九世紀」の起点と評価できるだろうと展望した。

목차

要旨
 1. はじめに
 2. 宝亀十一年(780)七月の勅について
 3. 渤海使節の「北路」来航と縁海警固
  (1) 渤海使節の来航と「北路来朝」禁止措置
  (2)「北路」の意味
  (3)「北路来朝」禁止の理由と警固発令の意義
 4. 蝦夷の動向と「流来新羅人」
  (1) 出羽地域の蝦夷と縁海警固
  (2)「流来新羅人」の登場と来航者の増加
  (3) 四天王法と警戒意識
 5. おわりに代えて ―来航の新局面と「九世紀」の黎明―
 参考文献

저자정보

  • 鄭 淳 一 정순일. 早稲田大学 外国人研究員

참고문헌

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