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초록
일본어
享年や作品など二代目岳亭と混同されている初代との関係を通して、二人の師弟関係をはじめ、初代の没年時期について、晩年の作品にポイントを当て推察、報告した。先ず、初代岳亭の名前が挙がる具体的な作例からして、嘉永五(1852)年までは生存しており、まだ画稿を直間接的に描いていたことを確認した。それから、二代目作『釈迦御一代記』四編の、安政五(1858)年十月二十四日魯文序、及び内題下に、「岳亭大人」「岳亭梁左」と記されることからして、初代岳亭は安政五年十月二十四日以前には亡くなっていたことを確認した。一方、二代目岳亭が初代の戯号や印記に倣った例が慶応期(1866年)以降みえることから、特に晩年に至って初代との繋がりを強く意識すると同時に、師匠の戯号や印記を使用する自負も垣間見た次第である。
목차
Root
要 旨
1. 緒 言
2. 初代岳亭晩年の創作活動について
2.1. 初代岳亭の天保期後半以降の創作活動-狂歌本を軸として
2.2. 初代岳亭の没年
3. 別号と印記-初代との強い繋がり
3.1. 往来物作者としての二代目
3.2.「神歌堂丘山」․「五岳」号と「達磨に島」の印記
4. 結 語
參考文献
要 旨
1. 緒 言
2. 初代岳亭晩年の創作活動について
2.1. 初代岳亭の天保期後半以降の創作活動-狂歌本を軸として
2.2. 初代岳亭の没年
3. 別号と印記-初代との強い繋がり
3.1. 往来物作者としての二代目
3.2.「神歌堂丘山」․「五岳」号と「達磨に島」の印記
4. 結 語
參考文献
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