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초록
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本稿の目的は、1950年代における職場と地域を拠点として大衆的に展開された「記録運動」を「平和運動」の視点からその歴史的意味を再考し、とりわけ記録運動が表わした「個人と共同体」あるいは「芸術と政治」の間の前例のない「密着」を可能にした、この時代の固有な条件を探求することである。1950年代は「記録運動」の時代であると同時に、「基地反対運動」が全国的な規模で行なわれた時代でもある。そして、運動としての記録と基地という現実が出会うところで「反戦と平和」それから「基地反対」を主題にした数多くの記録物が生産された。その中でも、「私」の記録から出発した生活記録と基地周辺の住民による手記などで見るように、この時代の記録運動は何より当事者としての「私」を理想的な主体として見なしていた。また、基地反対運動という現場に向かって走り出した芸術家たちの様子は、この時代の記録運動が個人と集団との関係のみならず、芸術と政治の密着が実現されたことを示している。私的な記録が平和や反戦のような公の理念と直結させる想像力という問題を考える時、「基地」の存在を見逃すことはできない。というのは「私から世界への飛躍」、「透明な共感の共同体」そして「悲劇の交換可能性」といった1950年代の記録運動が内包していた想像力は、貧困と基地という普遍的で圧倒的な現実なしには生まれることができなかったと考えるからである。その意味で、基地は単なる時代的条件のような曖昧で抽象的な背景ではなく、1950年代の記録運動を支えた論理や真理を可能にした不可欠な条件であったといえよう。
목차
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. ‘생활기록’ 속의 반전‧평화
Ⅲ. 기지로 향하는 지식인들―기지 르포르타주
Ⅳ. ‘나’의 기록과 ‘우리’의 평화―기록운동의 정치적 상상력
Ⅴ. 맺음말
<참고문헌>
要旨
Ⅱ. ‘생활기록’ 속의 반전‧평화
Ⅲ. 기지로 향하는 지식인들―기지 르포르타주
Ⅳ. ‘나’의 기록과 ‘우리’의 평화―기록운동의 정치적 상상력
Ⅴ. 맺음말
<참고문헌>
要旨
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참고문헌
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