초록
일본어
終戦後、海外の植民地や占領地から日本本土へ引揚げた人口は630万から700万人に至ると言われている。彼らに対する戦後日本の認識は、「戦争の被害者」という公的記憶と住宅や失業などの民生問題を悪化した「迷惑集団」という社会一般の視線が異るレベルで共存していた。その一方、旧植民地である韓国や中国などでは、依然として植民地支配の実体や加害者であるという認識がつよい。本稿は、これらの引揚者に対する様々な認識のなかで、「戦争の被害者」という戦後日本の支配的な言説がどういうプロセスをへて形成し、社会的に流布したのかを分析したものである。とくに、「引揚げ」という用語は、引揚げの原点である日本帝国の海外侵略にともなう植民者の海外移駐と植民者としての外地体験を排除した概念である以上、彼らの歴史的な性格をトータルに反映できないという盲点をもっていると指摘し、それにもかかわらず戦後日本社会ではどうして「戦争の被害者」という公的な言説が定着したのかを解明しようとした。このために、まず戦後日本列島を中心とした人口移動の現況を整理したうえで、「引揚げ」という用語の中で投影した戦後日本の歴史認識とその問題点を指摘した。そのあと、引揚が盛になった1945-1947年の新聞記事を中心に、引揚者の初期定着実態、定着援護をめぐる本土の戦災民や疎開民、そして復員集団との葛藤の様子を考察した。そして、最後に、1947年4月の国会議員選挙を切っ掛けに引揚者の政治勢力化がすすむ中で、1952年恩給制度の復活と共に引揚者団体が主張した戦争被害均分論と日本政府の戦争被害受忍論の対立関係の展開過程を追跡し、なぜ日本人の引揚者が「戦争の被害者」として位置づけられたのかを考察した。
목차
Ⅱ. 종전 후 동아시아의 인구이동 현황
1. 일본 본토의 인구변화
2. 전후 귀환자 추계
3. 1945~1947년 귀환자 현황
4. 재일외국인 송환자 현황
Ⅲ. 히키아게 담론의 형성과 사회적 유포과정
1. 인식론적 틀로서의 ‘히키아게(引揚)’
2. 초기 수용 단계의 응급구호 논의
3. 정착원호를 둘러싼 사회적 갈등
4. ‘전쟁피해균분론’과 광의의 ‘전쟁피해자론’
Ⅳ. 맺음말
<참고문헌>
要旨
저자정보
참고문헌
- 1貧困階層としての引揚者の援護について네이버 원문 이동
- 2加藤陽子 「敗者の帰還-中国からの復員・引揚問題の展開-」, 『国際政治』 109号, 1995.5
- 3木村英亮 「ソ連軍政下大連の日本人社会改革と引揚の記録」, 『横浜国立大学人文紀要』 第1類(哲学・社会科学) 第42輯, 1996.10
- 4稲葉千晴 「関東軍総司令部の終焉と居留民・抑留者問題-日本側資料の再検討とソ連接収文書の分析によせて-」, 『軍事史学』 第124号, 1996.3
- 5稲葉寿郎 「引揚者の戦後をめぐる一側面-恩賜財団同胞援護会を中心に-」, 『青山学院紀要』 第14号, 1999.3
- 6解良澄雄 「第二次大戦後のドイツ人‘追放’問題-ポーランドにおけるその現在-」, 現代史研究会, 『現代史研究』 46, 2000
- 7加藤聖文 「台湾引揚と戦後日本人の台湾観」, 台湾研究部会 編, 『台湾の近代と日本』, 2003
- 8成田龍一 「‘引揚げ’に関する序章」, 『思想』, 2003.11
- 9成田龍一 「‘引揚げ’と‘抑留’」, 『岩波講座 アジア・太平洋戦争 4 -帝国の戦争体験-』, 岩波書店, 2006
- 10浅野豊美 「折りたたまれた帝国」-戦後日本における「引揚』の記憶と戦後的価値-, 『記憶としてのパールハーバー』,ミネルヴァ書房, 2004
- 11木村健二 「引揚援護事業の推移」, 『「帝国」と植民地-「第日本帝国」崩壊60年-』 年報・日本現代史第10号, 2005
- 12日本의 敗戰과 釜關連絡船 : 釜關航路의 歸還者들네이버 원문 이동
- 13한반도 거주 일본인의 귀환과정에서 나타난 식민지 지배에 관한 인식네이버 원문 이동
- 14이연식 「해방 후 한반도 거주 일본인 귀환에 관한 연구 -점령군⋅조선인⋅일본인 3자간의 상호작용을 중심으로-」, 서울시립대학교 박사학위 논문, 2009
- 15이연식 「전후 해외 귀환자에 대한 한일 양국의 지원법 비교 연구」, 『근현대 한일관계의 제 문제』, 동북아역사재단, 2010
- 16이연식 『조선을 떠나며』, 역사비평사, 2012