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‘일류동조론(日琉同祖論)’의 창출논리와 제국의식 - 이하 후유(伊波普猷)를 중심으로 -

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日流同祖論の創出論理と帝国意識 - 伊波普猷を中心に -

전성곤

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초록

일본어

筆者は伊波普猷の思想を時系列的に追いながら、伊波普猷が構築した沖縄学がどのように形成されたのかを明らかにした.結論を先取りしていえば、伊波普猷は比較言語学を主な方法論として活用し、日琉同祖論を主張し続けた.いやむしろ比較言語論という方法を通して、日琉同祖論を証明し続けたとも言えるだろう.それは,当時の学問的雰囲気を充分活用したが、特に、鳥居龍蔵と白鳥庫吉、金沢庄三郎、上田万年などであった.よく知られているように、鳥居龍蔵は日本人種のルーツを確認するために周辺の国々の人種を現地調査しながら、歴史的な文献をつなぎ合わせる方法をとる学者であった.鳥居は沖縄の調査も見逃すことなく調査し、その人種の特長を明らかにしようとした.鳥居はマレイ系統とは異なる人種として沖縄人種を位置づけた.これに示唆を受けた伊波普猷は、日本と沖縄の神話の構造と神話に現れている‘ノロ’の役割などを提示し、鳥居の人種論と結び付けることを試みていた.これは両方ともイギリスの日本研究者であるチャンバレンの理論をベースにしいて行った論理でもあった.まず、伊波普猷は白鳥庫吉が言語的比較によって証明した論理を用いた.つまり、ツングス人種がアイヌを追い出す過程を考えることで、ツングスが南下したことを確認した.これもアイヌの言語とウラル․アルタイ民族との言語比較を通して得た結論であった.伊波普猷はこれを敷衍して、上田万年のp音理論を加えた.奈良時代に使用されたp音が同心的に辺鄙に拡大されていったが、それを比較することで日本内地と沖縄の過去の同一性が証明されたのである.また、金沢庄三郎の日本語、朝鮮語の単語の比較を元にして、沖縄の「前」という言葉を説明し、人種がやはり、北から南へ南下したことを主張した.柳田は、沖縄と日本は同祖ではあるが、それが南から北へと登ってきたと主張したのである.この柳田の論理には、伊波普猷が活用可能な「同祖論」が共通分母として存在したが、それを拡大する戦略をとったのであろう.伊波普猷は、沖縄の古代を再現する方法として「オモロ」に関心を傾注した.オモロは、神歌も含めていたが、そこに沖縄の開闢神話があることに注目し、沖縄人の宇宙観を説明した.つまり、日本内地の『古事記』に見られるように、高天が原はアマミキヨの例をもって、根の国は「ニライ」をもって説明した.そして沖縄でも日の神を崇拝したが、それがテダコとセノミ等の単語であり、天照大御神と同じ意味をもっていることを証明した.このように神話比較をもって、伊波普猷は、日本人種が日本内地から分派して移住してきたと‘南進論’を打ち立てることができた.これは、また、東アジアに広がっているシャーマンとノロの比較を通じてもっと核心を得ることができた.つまり、シャーマンとノロの役割とか,装身具などが朝鮮の石槨壁画などと似ていることから、北方と結び付ける事ができた.それで、沖縄の最高の神職者である聞得大君の位相を明らかにすることが可能であった.このように、伊波普猷は、日琉同祖論を主張し続けたが、それには、日本帝国主義を容認し、その論理受容したとの批判が存在した.ところが伊波普猷の論法には一面的に解釈出来ない部分があった.伊波普猷は、沖縄人の特性を‘適応能力’の優秀性であると言った.だから日本が廃藩置県によって沖縄を日本へ編入させたことは、沖縄人はそれを逆に応用し、新しい沖縄人として蘇生すべきであると見ていたのである.これは、違う表現を借りれば主体は沖縄にあって、日本は「招待された帝国」であり、その文明的な力をかりて、沖縄の改造を成し解けるべきだと見たのである.このような認識に基づいた伊波普猷を明らかにすることにより、時代とともに進化を追い求める沖縄を探りだし沖縄学の創出構造を浮かび上がらせた.

목차

Ⅰ. 서론
 Ⅱ. 본론
  1. 도리이 류조의 오키나와 조사와 인종해석
  2. 이하 후유의 인종론과 비교언어학
  3. 신화비교를 통한 일류동조론의 창출
  4. 일류동조론의 주창과 타자화
 Ⅲ. 결론
 <参考文献>
 要旨

저자정보

  • 전성곤 SungKon-Jun. 고려대학교 일본학연구센터 연구 교수

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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