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나카야마 미키(中山みき)의 ‘일본’인식

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中山みきの「日本」認識

林泰弘

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초록

일본어

中山みきは、「日本」を、外國人が統治している所として、この世界の中心として、そして拡大する神の空間として認識していた。こうした認識は、『おふでさき』や「泥海古記」の中から読み取れる。 みきは「外国」を「から」と、「外国人」を「からびと」・「とうじん」と表現していた。そうした「外国人」には古代の朝鮮半島の人々だけでなく、中国人や西洋人も含まれている。ところがみきが、「とうじんが、日本の地へ入ってきて、日本の高山、すなわち支配層になり、またその中心的な指導者(しんばしら)になっている」と言ったときの「とうじん」は、古代に朝鮮半島から移住してきた百済の人々を指すに違いない。 「から」はいままで、日本をままにしてきた国である。しかしこれからは、日本がままにする対象になる。すすんでは、「から」の地はこれから日本の地になる。こうしたみきの認識はどこから来ているものだろうか?それは基本的には、日本はこの世の中心であり、日本という神の聖なる空間は、常に拡大される空間であるという基本的な信念の上で成立されたものである。 そのような信念は、本稿では、自ら「親神」として自認していたみきが、日本人としてのアイデンティティの危機を克服する過程において生まれたものであると分析した。アイデンティティの危機とは、具体的には、「日本」という国、「日本人」という人々は、もともと外から入ってきた人々ではないかという疑問から出た危機である。結局、みきにおいては、そうした民族的アイデンティティの危機を「泥海古記」を通じて克服しようとしていた。「日本」は、この世の始まりから存在し続けてきた国であり、この世の中心地である。そして世界の人々は「日本」の大和国の地から生まれはじめた。そうした人々が食べ物を探して「から」にも渡っていた、という神話が「泥海古記」である。こうした発想は「記紀神話」からの影響が窺える。 みきの神話や記紀神話には、周辺の国の人々が日本に入ってきて「日本人」を統治したり、あるいは「日本」という国をたてうる余地はない。むしろ日本の人々が周辺の国々へ渡り、統治をしたり支配することが当然のこととなる。周辺国の人々が日本に入ってきて統治者になったり、支配層になることは、それは「天理」に合わなく、「神のりいふく」になる。中山みき流の「征韓論」は、このようにして正當化されるのである。結局、アイデンティティの危機の克服から「征韓論」の論理が生まれていたということが指摘できる。

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. ‘가라’사람들이 통치하는 곳
 Ⅲ. 이 세계의 중심지
 Ⅳ. 확대되는 신의 공간
 Ⅴ. 맺음말
 <参考文献>
 要旨

저자정보

  • 林泰弘 임태홍. 성균관대학교 동아시아학술원 연구교수

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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