초록
일본어
安倍能成(1883-1966)は1926年京城帝国大学教授・法文学部長となり、1940(昭和15)年5月、第一高等学校校長に転じている。その15年間の京城帝国大学の教授生活を彼は「苦しみ」と「恥」と表現している。安倍の随筆から朝鮮文化への敬意と日本の植民地政策への思いを探る。また、同様に京城帝国大学の職にあった人々の「知のありよう」を考察する。そして敗戦後、安倍は貴族院・憲法改正委員会委員長として「日本国憲法」制定に関与し、文部大臣ともなった。日本の戦後民主主義・平和主義を思想的に支えた人物であるといえよう。
목차
Ⅰ. 진달래꽃과 벚꽃 -「경성잡기(京城雜記)」 「경성풍물기(京城風物記)에서」-
Ⅱ. 경성제국대학 교수ㆍ법학부 부장
Ⅲ. 경성제국대학에 재직했던 인사들의 전후
Ⅳ. 「평화문제담화회(平和問題談話會)」
V. 결론
要旨
Ⅱ. 경성제국대학 교수ㆍ법학부 부장
Ⅲ. 경성제국대학에 재직했던 인사들의 전후
Ⅳ. 「평화문제담화회(平和問題談話會)」
V. 결론
要旨
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