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この研究では、近代日本における国家神道が明治維新から敗戦に至るまで 国民精神を支配してきたという村上重良の説に対する反論として、国家神道 という制度の中で靖国神社と招魂社がそれぞれどういう位相で役割を果たし ていたかを再検討することを目標としている。最近の靖国神社をめぐる議論 をみても、そのほとんどが村上説を大きな前提としてその問題点を論ずる傾 向が強く、韓国でもそれがそのまま受け入れられているように見える。しか し、こうした村上説に基づく場合、明治初期の神道国教主義と日本ファシズ ム期の国家神道の強制という二つの時期の差異だけでなく、明治時代から 1930年代に至るまでの多様な宗教現象と国家神道との間の葛藤や相剋の関係 を看過してしまう恐れがある。したがって、本稿では1880年代の 「信教の自 由」 が規定されてから1930年代のファシズム期に至るまで国家神道がいかな る形でいかなる役割を果たして来ており、それに対して仏教をはじめとする 他の宗教はいかに対応してきたかを具体的に検討する必要があると思うので ある。 こうした問題意識から1930年代までの靖国神社と招魂社の役割を検討して みた結果、明治から敗戦に至るまで国家神道が一貫して日本の国民精神を支 配してきたと見ることはできない。すくなくとも、1930年代まで国家神道が 地域の末端まで浸透していなかったことは、靖国神社と招魂社の連動性がほ とんど見えないことからもわかる。もっと細部的にみれば、戦没者を慰霊 し、顕彰する論理には靖国神社を頂点として画一的に統合されていなかった だけでなく、むしろ国家神道とは相違姓をもつ要素も含まれていた。こうし た相違姓が国家神道の強制によって国家的なレベルで整備、拡充されるよう になるのは総力戦体制が本格化する30年代後半からのことである。しかし、 こうした国家神道と靖国神社の強化過程でも葛藤と紛糾が絶えなかったこと は、特に1940年代にはいって神宮冒涜、不敬罪などで基督教、仏教、教派神 道等に対する弾圧が一層強化していることからもわかる。 但し、ここで留意しなければならないことは、国家神道と靖国神社に統合 されず、また葛藤や紛糾が絶えなかったとして、それが直ちに戦争に反対 し、反国家的であったことを意味することではないという点である。すなわ ち、基督教、仏教、教派神道などもそれぞれの宗教的な立場から積極的に戦 争に協力した側面も看過してはならないのである。そういう意味で国家権力 は仏教的な要素であれ、民俗信仰的な要素であれ、それが自発的な戦争協力 を調達し、かつ天皇制に対して 「不敬」 でない限り、それを積極的に抑圧し たり排除したりしなかった。それはすなわち、靖国神社にまつられることが 無限の光栄として宣伝され、認識されたとしても、その実相は国家神道とは 異なる多様な宗教的次元で受け止めることも少なくなかったことを物語って いる。そして、こうした多様性を国家神道のもとに画一化し、それがまるで 先験的なことであるかのように信じ込ませたのが天皇制イデオロギーであっ た。
목차
Ⅱ. 국가신도와 ‘신교의 자유’ 하에서의 야스쿠니신사
Ⅲ. 야스쿠니신사를 둘러싼 갈등과 통합
Ⅳ. 초혼사와 초혼제를 둘러싼 갈등과 통합
Ⅴ. 맺음말
<야스쿠니신사 연표>
日文要旨
