초록
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慈円は仏教界の最高位置である天台座主に4回も命じられた大僧でありながら、立派な多作歌人でもある。特に彼は和歌詠みをきっかけとした後鳥羽院との関係が厚かったし、実際に 新古今集 の入集歌数面において第二位というほど、たくさんの歌が選ばれている。ということから本歌集の編纂における彼に対する注目の程度がうかがえるだろう。 新古今集に収録してある慈円の和歌の内、仏教的な述懐が歌われているのを調べてみると、これらにはその頃の時代的な雰囲気、すなわち無常․遁世․求道を悟っていく人間の心が歌われているといえる。しかし、慈円はその段階に留まらず、佛道を教育するによって末法思想を克服して時代的な限界をのりこえさせたのである。またそれは天皇中心の政治を再定立していける救済の可能性を提示したことであるともいえる。慈円も藤原摂関家の絶対性を信じていた者であったから、このような立場は彼の政治観に明確に表われているが、それは国家の原理であると同時に伝統への尊重とのことである。 すなわち天皇が中心となり、藤原一族を中心とした公家がその補佐役を担当していく政治を主張するのである。したがって仏法は王法、即ち天皇中心の政治が実見できるようにするための重要なものであった。 そういう面から和歌は天皇と貴族との共通コードとして、指導者の権威を守り、貴族内の秩序を維持してくれるという立場で国家秩序を保っていくものであると大切に扱われていたのであるだろう。こういうことから勅撰和歌集の編纂は天皇の善政を見せ、天皇に対する忠誠を表わすための行為でもあったと言えるだろう。従って、動揺している政治秩序を再定立するために仏法を利用した方法として王法守護の大切さを強調していた慈円の和歌は本歌集において大した意味を持っていると言える。
목차
Ⅱ. 본론
1. 지엔의 생애와 문학적 도정
2. 지엔의 와카와 『신코킨슈』와의 관련성
Ⅲ. 결론
참고문헌
日文要旨