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신국사상과 메이지정부의 국가신도(神道)화 정책

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A Study on the Conception of Gods`s Country Japan and a Policy of Meiji Government`s National Shintoization

高城 幸一

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초록

일본어

本研究では、神国思想との関連で明治維新及び明治維新における天皇 の果たした役割、更に、神国思想の具体的展開と言える明治政府による ‘国家神道化政策’について検討することにする。 神国思想は、 「神明擁護」 「神孫降臨」 「国土の宗教的神聖視」の3つの 意味を抱合した思想であるが、神々の中心である天照大神の子孫である 天皇が統治する国という神孫統治を中心内容とするようになり、日本の 政治的独自性と対外的優越性の根拠とされた。この神国思想に由来する ‘大政委任論’に立脚して‘大政奉還’による平和的な政権交代がおこなわ れ、‘神孫統治論’と、それに由来する‘王土王民論’に立脚して、‘版籍奉還’ や封建的分権制の解体を意味する‘廃藩置県’を特に混乱もなく施行するこ とができた。このように、神国思想と国家神道が、平和的な体制移行を 伴う政権交代の実現及び国民国家の建設(nation state building)に果たし た役割は大きかったと言える。 明治維新に伴い、新政府は 「神々の中心である天照大神の子孫である 天皇」が統治するという‘神孫統治’を強調し、近世までの神仏混淆の宗教 秩序にかわり、天皇と皇室に関係の深い日本の神々への崇拝を中心とす る新しい宗教秩序の形成が進められた。1868(明治1)年3月13日には、‘祭 政一致’の原則を掲げて神祇官が復興され、同28日には太政官から神仏判 然令が出されて<廃仏稀釈>が引き起こされた。皇室祭祀に新たに創案さ れた祭祀を追加することにより皇室神道を創案し、これを教義の機軸と して、伊勢神宮を頂点とする社格制度に立脚した神社支配体系を通して 全国民を天皇崇拝に結びつけ、国民の思想統制の装置として明治政府に よって確立された国家神道が活用された。明治政府の国家神道化政策 は、1)‘天子’․皇帝․大元帥としての‘天皇像’の確立と人民への告知、 2)天皇と神社の関係強化、3)宮中における神仏分離と皇室儀礼の神道 化、4)神道政策の展開、5)国民教化運動の展開、6)‘神道非宗教説’に 立脚した国家神道の成立の6項目を主要内容とする。 更に明治政府は、国家機構の精神的基盤としての神道を国民に啓蒙す るため、大教宣布運動を起こした。1869(明治2)年7月8日に宣教使が設 置されて、1870年1月3日には 「宣布大教詔」(大教宣布の詔)により<惟神 之大道>を掲げる民衆教化への方針が打ち出された。しかし、1871年8 月8日には神祇官は神祇省に格下げされ、1872年3月14日には教部省に 改組された。神官だけでなく僧侶や民間宗教の指導者をも教導職として 公認して、神仏合同の大教院を中心に<三条教則>を掲げた教化運動が推 進される。 しかし、大教宣布運動の失敗後、1882(明治15)年、官社の神職の説教 活動と神葬祭の司祭が禁じられ、神社は一般宗教とは別の国家儀礼․国 民道徳であるとして、その温存育成が図られた。第2次世界大戦後、占 領軍は1945(昭和20)年末のいわゆる 「神道指令」で、神道と国家との長く 密接な関係を断ち切った。神道は歴史的に、地域社会の住民や国家全体 の統合․調和にかかわる機能をもってきた。

목차

Ⅰ. 서론
 Ⅱ. 신국사상과 메이지유신
 Ⅲ. 메이지정부에 의한 神道국교화
  1. ‘천자’ㆍ황제ㆍ대원수로써의 ‘텐노상’의 확립
  2. ‘祭政일치’와 ‘神道국교화’
  3. 神仏 분리와 황실 의례의 神道化
 Ⅳ. 메이지정부 주도의 神道에 의한 국민교화운동
  1. 국민교화운동의 전개
  2. ‘신도비종교설’에 입각한 국가신도의 성립
 Ⅴ. 결론
 참고문헌
 日文要旨

저자정보

  • 高城 幸一 亞洲大学校 国際学部 助敎授

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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