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天理敎에서 본 일본의 神國思想

원문정보

Thought of Japanese Divine Nation as Seen through Tenrikyo

천리교에서 본 일본의 신국사상

야규 마코토

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초록

일본어

19世紀の日本において、教派神道各派はさまざまな形態の神国思想を 展開したが、天理教の場合は、少なくともその 「原典」からは 「神国」の 用語や、日本を指して神国となす用例は見出しにくい。その代わり 『おふでさき』に頻出する 「にほん」という語が天理教における 「神の国」 をあらわしている。『おふでさき』によれば 「にほん」は 「から」とその根 源を同じくするが、現状においては 「にほん」は微弱で 「から(とふぢん)」 は強勢であり、 「から」は 「にほん」の領域に入り込んで好き勝手にして いる。しかし神はそれを憤り、やがて 「にほん」を助けて 「から」を屈服 させ、 「から」を 「にほん」の領域に入れ、やがてはすべてが 「にほん」と なる。このような 「にほん」と 「から」の関係は大まかに言えば、アウグ スティヌスの 「神の国」と 「地の国」、あるいはイスラム法における 「ダー ル․アルイスラム(イスラムの家)」と 「ダール․アルハルブ(戦争の家)」と 同じ思想類型であるといえる。また 「にほん=神の国」の拡大というモチー フは 『みかぐらうた』ではより直截に、 「世界だすけ」への志向として歌 われている。 また 『おふでさき』にみられる、社会の下層を指す 「谷底」と上流層を 指す 「高山」もまた、それぞれ 「にほん」および 「から」と同じような関係 にあることがわかる。『おふでさき』には 「高山のしんのはしらはとふぢ んや、これが大一(=第一)神のりいふく(=立腹)」という歌まであり、両 者の類似性は明らかである。 このような天理教における 「にほん」と 「から」の構造には、 「から」お よび 「高山」の否定․対立という契機と、「にほん」と現実の日本の同一視 により 「世界だすけ」のためという大義名分のもと日本軍国主義の膨脹政策 に積極的に同調․便乗する契機とが含まれていた。前者の側面は、天理教 教会よりむしろその分派において先鋭的にあらわれたといえる。 ところで明治政府は、キリスト教流入による日本の社会秩序の崩壊に 対する防壁として、全面的な社会改造に国民を従わせるカリスマとし て、明治維新の実権を握った討幕派が権力基盤の脆弱性を補う大義名分 として、あるいはまた西洋諸国のキリスト教にあたる日本国の精神的機 軸として天皇の権威を要請し、それを支える国家神道体制を構築して いった。いわば 「天皇を中心とする神の国」作りを進めていった。それは 天理教教祖の 「神の国」とは明らかに対立するものであった。 教祖自身は教えに無理解な国家権力との対決を恐れず、国法に対する 神の優越性を説破した。しかし教団としては教祖のそうした尖鋭的側面を あえて前面に押し出すわけにはいかず、戦前の天理教教会は天皇制․国 家神道体制に組み込まれながら国家の公認と社会的な認知を受け、そうし ながら宗教的な主体性を追求する辛い綱渡りを余儀なくされた。 一方、 「教祖のひながた」に従うという教えのもと、かつては一般の信 者の多くが教祖に倣って財産を放擲し、地方教会での共同生活を送りな がら布教․おたすけに邁進した。その彼らの心の支えとなったのは、い わば 「から」を 「にほん」の地にする、つまり世界だすけ․の教えを説い て無理解な人々を回心させ、最終的には全人類を陽気ぐらしの世界に導く という意識であった。こうしてみると、一般の天理教信者が教会を支え つつしゃにむに 「神の国」の拡大に邁進する一方、教会本部が天理教の社 会的地位を高めて日本国家の弾圧や社会の反対を抑え、信徒への迫害を最 大限回避する盾としての役割を担ったことが、天理教教団を存続せしめ、 さらには教派神道最大の教団にまで発展させた秘訣であったといえよう。

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 선행연구의 검토
 Ⅲ. 각 교파신도의 신국사상에 대한 검토
 Ⅳ. 천리교의 “카라”와 “니혼” 개념
 Ⅴ. 천황제국가의 “국체” 확립
 Ⅵ. 천황제국가와 천리교의 갈등
 Ⅶ. 맺음말-두 개의 “にほん”-
 참고문헌
 日文要旨

저자정보

  • 야규 마코토 Yagyu,Makoto. 강원대학교 철학과

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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