원문정보
초록
일본어
本研究の対象になっているのは、岡田貢ぐが1928年出した日常生活上より見 たる內鮮融化の要諦である。岡田は1904年京城に渡って来て、1916年京城南 大門公立尋常小学校の導訓を経て、仁峴・校洞・孝昌などにあった朝鮮人の 公立普通学校の校長として勤めた。このような経歴からみても彼は当時の京城に 滞在していた朝鮮通であった。また、彼は緒文でこの本を書いた理由について、 朝鮮で生活し始めた頃は言語や習慣が異なったために相互に誤解が多かったこと から、そのような経験に基づき、内地人が朝鮮人と接触する際に起きうる誤解を減 らすためだったと述べている。 その本は、訪問と接客、表情と身体、言語の違い、吉凶慶弔、結論という五 つのテーマで構成されている。そして付録として朝鮮の民謡と民族性、童話伝説 にみられる朝鮮の特質、朝鮮の児童たちの礼儀作法などが加えられている。その なかで、「訪問と接客」のところで、朝鮮人の食事と関連した内容が出ている。 朝鮮人はお茶を飲まず、タバコを好む。朝鮮人の食事は万が一の毒殺を避けるた めに、共通の食器を使う。オンドルの上で生活しているため、客が来ると立ち上 がって迎える。鍮器でつくられた食器を使う。食事をするときには片膝を立て、目 上の人との同席を避ける。客は出された料理を残すべきである。残された食べ物 は下男や犬猫には与えない。また、杯を伏せない。魚は祭祀の時でなければ、 頭と尾を切って料理をする。果物は皮を剥いて出すが、そのように食べ物はすぐ食 べられる状態にして出すのが礼儀である。ご飯に水を入れて食べる。それに、宴 会で歌と踊りをするのはもっぱら妓生である。注がれた酒は一気のみをするなど、 多食主義と滿腹主義が一般化している。 岡田は朝鮮人の食事を内地人と西洋人の風俗と往々比較している。さらに、 朝鮮人の食事と内地人の食事が異なる理由を、植民地的史観、非衛生、非合 理的慣習、そして朝鮮王朝の性理学から求めている。これは、内鮮融合が相互 間の理解を通じて誤解を減らすためであると言うよりは、朝鮮人の短所を浮き彫りに して内地人の優秀性を強調するためであったことを意味する。とりわけ、多食主義 と滿腹主義は後進性の代表として象徴化する。 したがって、1920~1930年代に、日本帝国が強調した内鮮融合は、決して日 本と朝鮮の同等たる融合ではなかった。それは日本を中心に置き、朝鮮を抹殺し ようとした政策であった。朝鮮の食べ物も融合の対象というより、朝鮮人を劣る存在 として位置づけるための媒体に過ぎないのであった。しかしながら、朝鮮の食べ物 はその融合の過程のなかで、「朝鮮的な情緒」によって包まれ、消費されたので ある。その結果、内鮮融合に染まった朝鮮の知識人の一部は、朝鮮の食べ物が 自分たちの自負心を植え付けてくれるものと見做したりもしたが、それはあまりにもロ マンチックだったと言うしかない。1940年代になると、朝鮮の食べ物は、戦争を準 備するにはとても複雑な食べ物であると判断され、改良の対象になってしまうのであ る。
목차
Ⅱ. 『내선융화요체』에 대해서
Ⅲ. 『내선융화요체』에 묘사된 조선인의 식사
Ⅳ. 조선음식의 타자화와 관광상품화
Ⅴ. 결론
참고문헌
日文要旨