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조선후기 통신사행원의 일본 고학 이해

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朝鮮後期通信使行員の日本古學理解

하우봉

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초록

일본어

近世東アジア思想界の課題は、中世敎學の支柱であった朱子性理學を克服 することであり、そのための論理の一つとして提示されたものが「古學」であった。 實學硏究の現段階における重要課題は、一國中心主義から脱却して、東ア ジア史全體を視野に入れた交流史と比較硏究である。なかでも、様々な点におい て類似性を見せている朝鮮後期の実学と日本近世古學の比較との相互関連性を 究明する作業は、特に重要な主題であると言える。 日本の古學が朝鮮に紹介されたのは、日本を訪問した通信使行員を通じてで あった。彼らによって傳來した古學派儒學者の書籍が、一部實學者たちに伝えら れたのである。日本古學派儒學に対するより深い硏究は、實學者たちによって行 われたが、通信使行員たちも日本現地で古學派儒學者たちと面会して討論を行 い、それに関する論評を残している。この点から、彼らが残した記錄と論評は、非 常に重要な意味を持っている。本稿では、通信使行員の日本使行錄に收錄され ている日本の古學派儒學に関する論評を分析した。また、通信使行員が著述し た日本使行錄の目錄を作成し、朝鮮に傳來した日本古學派の著書に関しても、 その傳來經緯や時機などを含む圖表を作成した。 本稿において分析對象とした通信使行員は、1719年の己亥通信使行である申 維翰(製述官)、1748年の戊辰通信使行である曺命采(副使)ㆍ柳逅(書記)ㆍ洪 景海(子弟軍官)、1763年の癸未通信使行である趙曮(正使)ㆍ元重擧(書記)ら である。 通信使行員らは、その大部分が朝鮮中華意識に基づく閉鎖的な世界觀、儒 敎的價値基準による日本夷狄觀、壬辰倭亂による敵愾心などによって、日本文 化に対する認識が消極的であった。そのため、日本の儒學界の水準を全般的に 低く見ており、當時日本で發展した陽明學や古學に対しても批判的であった。日本の古學に関し ては、好奇心の對象としてそれらの著述を求めたりもしたが、眞摯 な關心を抱いて硏究した人物はいなかった。単に古學派の經典解析が朱子を批 判し、性理說を否定しているという点に注目して、それを異端であると規定するに 過ぎなかった。 だが、元重擧の荻生徂徠に対する評價は、単なる否定一辺倒ではなかった。 彼は、徂徠の古學的志向に対しては批判しつつも、彼の學說が日本を風靡し、 文章や學術方法などにおいても一定の境地を開いたとして、その學術的な功勞に 対しては、肯定的に評價したのである。元重擧の日本文化と古學派儒学者に対 する認識は、李德懋をはじめとする實學者たちにも一定の影響を與えることとなっ た。

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 근세 일본의 고학파 유학
 Ⅲ. 통신사행과 일본사행록
 Ⅳ. 통신사행이 가지고 온 일본 고학파의 저술
 Ⅴ. 통신사행원들의 일본 고학 이해
 Ⅵ. 맺음말
 日本要旨

저자정보

  • 하우봉 전북대학교 인문학부 교수

참고문헌

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