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本稿の目的は、女性キリスト者として社会運動・教育事業にたずさわった羽仁 もと子が、反戦と平和主義の立場から一転して戦争支持と協力へ傾いていく過程 を考察し、その思想的背景と論理展開の流れを明らかにすることにある。明治啓 蒙期の高等教育を受けて成長した羽仁もと子は、大正期の自由主義的な風潮の 中で、人に先駆けて婦人向けの雑誌を作ったり、自分の教育哲学による学校を 創立するなど、当時の日本社会の多方面にわたって先駆的な役割を果たした。 近代日本の時代的な特徴を体現している代表的な女性エリートといっても良いであ ろう。 しかし、篤実なキリスト者として、満州事変期まで完全平和を主張していたもと子 は、日中戦争と第二次戦争を経つつ態度を変え、積極的な戦争協力者になって 行った。筆者は、このような態度の変化が、単なる外部からの政治的な圧力や実 質的な利益を得るためというよりは、日頃からの彼女の聖書解釈やキリスト教的な 世界観と深い関わりがあるという事実を証明しようとした。その結果は次の通りであ る。 武力による戦争に反対していた時期から、もと子が自分の信仰に基づいて幾つ かの「正当な戦争」を肯定していたことは注目に値する。それは、簡単にいえ ば、彼女の生涯を貫いている信念でもあった「自由」と「進歩」を求めるための 「戦い」、そして「愛」から起因した「争い」であったのである。特にもと子の 「進歩」に対する執着は、聖書中の創世記に書かれている、アダムとイブの物 語に関する彼女だけの独特な解釈に至って明らかになる。もと子は、アダムらが神 の命令に背いて「知恵を知る木の実」を食べた行為を、「罪」というより「進歩のためにやむをえない 行為」と見なすことにより、「進歩」を最優先とし、それを妨 げるものに対しては、戦いさえ憚らない考えであることを表している。ただし、抽象的 な意味での戦いの必要性は認めたものの、本格的な武力戦争までは認めていな かったのである。 羽仁子領土対強執着強烈愛国心持主のみならず、もとが、にするいとなのちで あったのが確認される。おそらくそれは、彼女が受けた教育や成長の環境と関わる ものであろう。もと子は、日本の領土拡張が国にとって領土の喪失を意味するとい うことに気づくことが出来ず、単なる神からの祝福の証拠と受け止め日本の領土拡 張を念願していた。彼女にとって、キリスト教信仰は領土拡張の欲求を阻止するど ころか、その欲求を正当化する根拠として利用されていたのである。そしてそのよう な傾向は、成功した戦争あるいは勝利をおさめた戦争は、神から許諾された正し い戦争という確信に繋げられる。それに加え、日本に対する愛国心は、聖書の中 でイスラエルという国を愛さなかった者は、神から祝福されなかったという論理によっ て支えられている。 以上のような考えを持っていたもと子は、日中戦争の勃発という情勢の急変にあ たって、その戦争遂行の正当性をキリスト教信仰に立脚して主張し始める。戦争 の相手が同じアジアの中国である場合には、中国と戦って勝利するように神によっ て日本が選ばれたのだと言う。その反面、相手が欧米列強である場合には、神 の意志に背いた国際情勢を変えて平和を回復するために不可避な戦いだと言う。 それだけではなく、戦況次第によって、彼女の情勢理解と論調における差異が顕 著になる。日本に不利な戦況では、戦争の相手を「サタン」と見なしてもっと積極 的な戦いを注文し、日本が絶望的な状況に追い詰められると、戦争を神の前で の「日本自身との戦い」と定めるなど、当時の時局をキリスト教に基づいて解釈し 続ける。 しかし、論調の変化はあったものの、日本が行なっている戦争の正しさを確信 し、後方で協力しようとする姿勢だけは変らなかった。戦争自体に懐疑を抱くと か、疑義を示すことはほぼ見られなかったのである。それだけではなく、敗北が明 らかになった時には、隣国に対する謝罪や現実を見極めた上で厳重な反省を行う より、「神が日本に試練を授けた理由」を探すことに没頭することによって、結果的には戦争の責任問 題にも沈黙することとなったのである。
목차
Ⅱ . 평화주의에서 전쟁 지지로
Ⅲ. 진정한 싸움과 영토의 확장
Ⅳ. 애국심과 주변국 이해
Ⅴ. 전쟁 참여의 사명
Ⅵ.맺음말
日文要旨
