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언론 풍자에서 보이는 러일전쟁의 경계

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言論諷刺に見える露日戰爭の境界

정하미

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초록

일본어

日露戦争はメディアの転換においても、また戦争の方式においても戦争の前後に 相当な変化の見られる戦争であった。メディアにおいては、写真が日露戦争の様相 を伝え、何よりも映像により戦争の姿を一般民衆に伝えた点で新しいメディアの変遷が みられた。日露戦争に動員された人数は109万名に達し、家族を戦争に送ったのも 膨大な数に至り、家族の安否を気遣う神経が日露戦争期の映像の上映がなされた 映画館に足を向けさせたのであった。このような事態は相対的に自由にメディアに描 かれ、戦争を嫌悪する雰囲気さえ相対的に描くことができたと思える。また、列強の 仲間入りをしたと日本人に意識されたのは日露戦争であったので、日露戦争での勝 利は日本人の新たな自負心を養い、西洋列強に対して歪んだ優越心を植えるように なった。 その結果、軍部は日露戦争では、建前として防禦戦争を名分としてたが、戦争 終了後には国策レベルで「攻勢主義」的軍事戦略が採用され始めた。具体的 には「軍令」と「帝国国防方針」である。これは軍事官僚機構の自立化を意味するも のである。その結果陸海軍の統帥部が主導権を掌握するようになり、このことは、日 本の軍部がアジア太平洋戦争にいたるまで軍部の独走をもたらしたものであった。何 よりも日露戦争終了後、軍部の発言力を高めたのは、植民地領有、支配と密接な 関係によるものであった。朝鮮や満州において日本軍を中核とする軍事支配体制が 確立し、朝鮮では民族的抵抗が激しくなったためこれをを抑圧するため軍部の機能と 役割が強化されるに至ったのであった。その結果、軍事官僚機構の政治的発言力 を高め、軍事官僚機構そのものが独自的に政治勢力化する基盤となった。 また、日露戦争の終了後には日本軍隊特有の精神教育が強化されたのも注目に 値する。これは膨大な軍隊の動員と新しい都市化、社会主義思想などの影響により 批判意識をもつ層が軍隊内部におこったのと無関係ではない。また、新しい兵器の 登場により戦術の関係上、軍紀の強化と末端の担当者として兵士の単位として軍隊 の末部まで意識教育が必要であると認識されたことによる。このような精神教育が天 皇制イデオロギーと接合したのもこの時期の特徴であるといえよう。歩兵操典改定後 の基本1項には「操典に採用する所の諸役の制式、訓練及び戦法は悉く国体、民 情、地形に適い、且国軍の組織と其境遇とに応せしむること」とされているが、ここ に天皇を意味する国体が明記され、以後、戦争イデオロギーと天皇との連結が日本 軍隊の特色をなすに至ったのである。 日露戦争後独自的な政治勢力として軍部が成立することによって、日露戦争を境 界として天皇制イデオロギーが確立し、西洋に対する感情は変化しはじめた。本稿 ではこのような変化を近代的意味の漫画としてはじまっている政治風刺と言論風刺の 領域の絵図を素材として具体的に変化の意味を探ろうとした。日本軍部の独走の方 向性は維持されますます進行し拡張されこのような動きにブレイクがかかるのは1945年 の日本の敗戦を待たなければらならなかったのである。

목차

Ⅰ. 서문
 Ⅱ. 미디어 변천의 경계
 Ⅲ.러일전쟁에 대한 언론풍자
 Ⅳ. 러일전쟁이후에 시작된 군의 조직과 군사사상의 변화
 Ⅴ. 맺음말
 참고문헌
 日文要旨

저자정보

  • 정하미 한양대학교 일본어학과 교수

참고문헌

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