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초록
일본어
日清戦争(1894-5)から太平洋戦争の敗戦(1945)までの期間は、日本が二年に 一度の割合で戦争ゲームに熱中した、いわば日本の五十年戦争の期間だったとい える。 日本が朝鮮半島の実権を事実上掌握し、日韓併合や第一次大戦参戦、シベリ ア出兵、満州事変ひいては十五年戦争へと突き進む契機となった日露戦争では、 日露それぞれで10万前後の人命が犠牲となり、戦費数十億円が費やされた。だが このような覇権維持と帝国建設の欲望と狂気に対する代価と犠牲を前に、日露の知 性は沈黙してはいなかった。トルストイは、戦争に興奮する日露の当事者に向けて 「爾曹悔改めよ」を発表し、キリスト教的人道主義の立場から戦争がもたらす惨禍 と犠牲、道義的退廃に警告を発した。与謝野晶子はトルストイのメッセージに触発さ れつつ、徴兵された弟の生還を祈願する反戦詩「君死にたまふこと勿れ」を詠ん だ。彼らが共にヒューマニズムに訴えて、戦争に狂奔するロシアと日本に異議を唱え たことの意義は、決して軽視すべきではない。 1903年4月、ロシアが満州還付条約で定めるの満州からの第二次撤収期日を破 ると、東京帝大法学部の戸水寛人以下7名が、韓満交換政策に反対してロシアと の衝突不可避を主張する「対露意見書」を6月24日付東京朝日の紙面で発表す るなど、新聞各紙は対ロシアの強硬路線を煽り、日本国内では急速に主戦論が高 まった。ついに数回の御前会議が開かれ、朝鮮の保全とロシアとの開戦が決定され た。 医療哲学者カンギレムによれば、正常とは本来、生命の規範についての表現で ある。そしてこの規範は、正常な状態よりむしろ逸脱状態においてよく確認される。このような認識は 、肉体だけでなく精神にもあてはまる。日露戦争前夜は、いわば精神 に主戦論という虫歯ができた人々が多数を占めている状況だった。しかし、歴史の 逸脱状態をよく認識(診断)していた正常(健康)な少数者は、生命の規範にも等しい 健康な歴史の意味を構築し得たのであった。少数とはいえ、彼らは歴史のリトマス試 験紙としての役割を果たした。 20世紀初頭の日本で戦雲を感知した「リトマス試験紙」は、『万朝報』 『平民新聞』などの一部言論と、キリスト教徒、社会主義者などからなるヒューマニ ストの一団であった。内村鑑三はロシアとの開戦危機が高まると、社会主義者幸徳 秋水、木下尚江、堺利彦らと共に『万朝報』で反戦の論陣を張り、戦争は決して 外交問題の最終的解決策ではないという趣旨の「非開戦論」や、戦争それ自体 の犯罪性を指摘した「戦争廃止論」などを発表した。内村らはその後も同紙上で反 戦平和運動を続けたが、同紙上での運動が頓挫すると万朝報社を退社し、内村は 『聖書之研究』『新希望』などで反戦言論活動を継続した。また秋水と堺は石川 三四郎・西川光次郎・安部磯雄・木下尚江・片山潜らと平民社を興し、機関紙 『平民新聞』を発行した。そこで秋水は論説「開戦論の流行」などで開戦不可 避論の背後に蠢く浅薄な感情論や虚栄心や利己主義などを暴露し、戦争の無益さ を説く一方、「ロシア社会党に与える手紙」では両国の軍国主義者に対する共闘を 呼びかけ、『ロンドンタイムズ』掲載のトルストイの「爾曹悔改めよ」を翻訳掲載し た。彼らは、圧倒的輿論だった戦争不可避論の意味を解体・脱構築すべく銃に対 してペンで戦った者たちの中で、最も大きな波を引き起こしたのである。 西田幾多郎は、国家の本質は歴史的世界の枠を作る形成作用にあり、価値形 成的で理性的で倫理的な国家となるところにあり、そのため国家は先ず、歴史的世 界を形成するための世界史的使命を担わなければならないと主張した。しかし彼は、 20世紀初頭から日本が辿った道はこれに反しており、皇室を主とし日本を主体化する こと即ち皇道の覇権化・帝国主義化に過ぎないと指摘した。日本精神の真髄は 「物に於ても事に於ても一となる」ことにあると、いわば矛盾的自己統一の皇室中心 主義を説いた西田は、1905年1月5日の旅順高地攻略で日本国中が祝賀ムードに 沸いた晩の日記に「幾多の犠牲と遥遠な前途に思いを致さず斯くの如き莫迦騒ぎに 興じるとは人心は浮薄なもの」と書き、1932年11月に親友山本良吉へ送った書簡でも「皇室が反動的な 思想勢力と結びつくのはこの上なく危険なこと」と軍国主義者を 非難した。またちょうど旅順攻略の40年後、敗戦直前の3月某日書簡で「我国の皇 室については…我々の予見した通りになりました。…民族の自信を武力に置いたこと は根本的な過ちだったと思います」と「遥遠な前途」への憂慮が半世紀の戦争で現 実化したことへの悔恨を記した。 西田は、一つの民族国家を中心とする帝国主義的理念は今や過去の遺物に過 ぎず、今日は全世界を一つの世界的空間となす世界的自覚の世界史的時代に入っ ており、真の世界平和実現のためには、世界史的使命を自覚した諸民族と国民 が、各自の地理的条件と歴史的伝統によって自ら構成する特殊的世界を通して一 つの「世界的世界」に結びつく「各自が自らに即しつつ自己を越える」世界新秩 序の原理によらねばならないと述べる。それはまた、帝国主義的国家主義が構築 し、軍部とそれに附和雷同する偏狭な日本主義者・皇道主義者が依拠する狂信 的国体論を脱構築(解体)するため、西田が仕掛けた「意味の争奪戦」「解釈の 争奪戦」でもあった。 日露戦争、それは果てしない歴史的「意味の争奪戦」である。この戦いは一世 紀が過ぎた今なお終わらず、ただ戦場が歴史の中に移動しただけである。 『文芸春秋』が1999年、2003年に日本の著名人対象に行なったアンケート 「20世紀に書かれた後世に残る本」「日本を見直す最良の本」で共に一位を占 めたのは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』であった。明治時代の人物群像で国家 論でもあるこの小説が注目を集める理由は、日露戦争のハイライトである旅順203高 地の攻防戦に最大のクライマックスを設定している点に求められよう。しかし我々の興 味をひくのは、日露戦争についての司馬遼太郎の解釈よりも、現代日本の著名人が この本を支持している事実のほうである。また2006年にはNHKで全20回でのドラマ 化が予定されており、その時には100年余り前に終幕した日露戦争は、日本のお茶 の間と日本人の心の中で再現されることであろう。 一方ロシアでも、たとえば歴史学者のマルク・ドイッチは、2004年3月15日付の 『モスコヴスキ・コムソモレツ』紙上で論文「日露戦争、失敗か勝利か?」を発 表した。ソ連共産党のイデオロギーが禁じた質問が今になって現れたのである。彼 は、全権大使ウィッテが日本側の戦争賠償金47万ドルの要求を拒絶したこと、旅順要塞の戦闘でも死傷 者がロシア側1万7000名に対し、日本側11万名だったこと、そ の上戦争の原因となった東清鉄道を日本に譲らなかったことという事実を挙げて日露 戦争を再評価し、「ロシアは負けていない」と主張した。 しかも彼は、東清鉄道は日本が考えていたような極東支配の軍事路ではなく、今 日の極東ロシアの経済発展が立証するように通商路だったと強調する。日露戦争 100年後の現在、そのルートに沿って石油の供給を求めている日本は、ドイッチの主 張にどう答えるだろうか?
목차
Ⅱ. 톨스토이와 요사노 아키코(与謝野晶子)의 비원(悲願)
Ⅲ. 총과 펜의「意味의 쟁탈전」―의미의 구축과 脫구축
Ⅳ. 끝나지 않은 러일전쟁
日文要旨