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日本現代文学の胎動における起点の一つとして新感覚派の出現が取り上げられる。新感覚派という名称を文学史に刻んだその背景には横光利一の「頭ならびに腹」があることは主知の通りである。「頭ならびに腹」は文学史の一断面を鮮やかに飾っているにもかかわらず、冒頭の表現に研究の関心が集中したあまり、小説の内面にまで綿密に突き詰めている研究はそれほど多くない。本稿では小説の冒頭の表現と全体の流れとの関連性に主眼点を置きつつ、内容の展開については社会科学的な視線を交えて考察してみた。なぜ社会科学的な視角が必要であるかといえば、この小説が急行列車の中の乗客が群衆へと変貌していくことが描かれているからである。ある限られた場所で一時的に多くの人々が集まり、共通の關心事や對象に向けて行動を共にする集團を群衆と定義できる。人類における群衆の歷史は長いが、それが一つの社會現象として把握され、多樣な側面から硏究の視點を置いて脚光をあびはじめたのは十九世紀に入ってからである。本稿では群衆の行動様態と心理を中心に、社会学的な論拠に基づいてその内面まで突き詰めたルボンの群衆心理を理論的な根拠として取り上げて小説を分析してみた。とりわけ、「頭ならびに腹」を群衆と結びつけて分析を試みたのはこの研究がはじめてであり、内容面における思想性の欠如あるいは不在という今までの評価を払拭するものとしてその意義は大きいと思われる。橫光利一は對象を深く認識した上で主觀化し深化させた感覺表現により、その內面を探って群衆の行動因子と群衆心理を緻密に象徵化している。ここでいう群衆の行動因子というのは感染力と被暗示性によって<相互間の行動>へつながり、人間集団の身体・精神的な<相互の接近性>を与えることである。そこにある<刺激の反復>は興奮を募らせる。そして<リーダー>の簡潔した<口語>によって群衆は理性と批判能力を失ってしまう。「頭ならびに腹」は深化した感覚表現によって一体性、無責任性、感情性、無批判性、親密性、雷同性といった群衆心理をリアルに小說として再構成したという特性がある。自我を喪失してしまった群衆の姿が諷刺的に描かれていることは、のち軍国主義に熱狂していく日本人と結びつけて考えてみるとき、この作品に秘められている価値は大きいといわなければならない。またそこに時代を抜いた横光利一の<群衆>という思想が存在するのである。
목차
2. 서두부분과 군중의 시대
3. 군중의 행동인자와 심리
4. 밀링(milling)과 이해타산
5. 군중의 <리더>와 <리듬>
6. 나가며
[參考文獻]
<要旨>
