원문정보
조선의 자연과 사람을 벗 삼아 -아사카와 다쿠미(浅川巧)의 「일기」를 중심으로-
초록
일본어
浅川巧(1891-1931)生誕百二十年記念として彼の生涯を画いた日韓共同制作の映画道-白磁の人が2012年6月と7月に日本と韓国でロードショーされた。2011年9月5日には韓国プレスセンターでソウル国際親善協会主催の「時代の国境を越えた愛-浅川巧の林業と韓国民族工芸に関する研究」という浅川学術会議も行われた。日本でも2011年に大阪市立東洋陶磁美術館で特別展浅川巧生誕百二十年記念の「浅川伯教・巧兄弟の心と眼-朝鮮時代の美」が行われ、同年山梨県北杜市高根町の浅川伯教・巧兄弟資料館で浅川巧生誕120年記念の「朝鮮の土となった日本人-浅川巧からのメッセージ∼自然法に帰せ∼」の展示会があった。浅川巧に関する以上のような日韓両国の関心は彼が植民地であった朝鮮へ向けた同情的な眼差しと、朝鮮王朝の白磁など民族固有の文化研究及び日本支配者たちの朝鮮に対する差別的な視線への彼の批評的な行動に注目している。浅川巧は朝鮮の自然と人々が創った伝統的な陶磁器と建築物の美的価値に敬意を表しながらそれらを保存することは人類の使命だと日記で記されている。彼は西洋風の近代と日本の宗教(神道)を朝鮮に強要する帝国主義日本を批判している。朝鮮と日本の歪んだ政治的な関係からもたされた社会問題などを解決する方法として巧が考えたのが宗教的な理解のもとに日常生活を楽しみながら互いに愛し合う関係として結ばれた社会であった。それが日記のなかでよく書かれている「新しい自由の教会」という理想的なキリスト教の社会であった。具体的に彼が夢見た理想的な社会とは自然と人を友に生活することでもあった。韓国と日本の交流のため現在浅川巧を普遍的な人類愛の実践者と自然との共生を唱えた環境主義者としてのイメージを顕彰することはあまり役立たないと思う。かえって浅川巧を通して侵略者としての負の過去歴史を持つ日本人としての反省と、日本の植民地支配という過去歴史を認めて受け入れて、そこから新しい韓国と日本の関係のなかでの韓国人としてのアイデンティファイの過程が必要だと思う。このような過程を通して韓国と日本が共に社会的知性を育んでいくのがより大事なことではないだろうか。結論的に筆者は浅川巧を韓国と日本の不幸であった時代に国家主義を乗り越えて社会的知性の役割を果した人物として評価している。
목차
2. 朝鮮의 자연과 사람을 벗 삼아
3. ‘새로운 자유의 교회’를 꿈꾸며
4. 나가는 말
[參考文獻]
<要旨>
