earticle

논문검색

사이카쿠(西鶴) 우키요조시(浮世草子) 속 미망인 인식 소고(小考) -후속 작품과의 비교를 중심으로-

원문정보

고영란

피인용수 : 0(자료제공 : 네이버학술정보)

초록

일본어

本稿は西鶴及び西鶴以降の作家の浮世草子に見られる後家が、どのように描かれ、かつ、認識されていたかを考察するためのものである。分析の結果、西鶴は性欲を露にした後家、および、貞節を守った後家、どちらに対しても、その意図を疑っていたと見受けられた。これに反して慈悲深い後家、夫やその家に対し犠牲的であった者は称えていたと。したがって、西鶴は当時の社会的通念に沿って後家を男性の側から「妻」の延長線で認識していたと言える。一方、多田南嶺は『世間母親容気で、後家を母と女性という二重の性格を有する存在として認識し、後家の性欲を人間の普遍的欲望の一つとして描いたと見受けられた。この点、西鶴が当時の社会的通念に沿って後家を認識していたのとは距離がある。また、南嶺は、子に対する先見と遊女的おおらかさを同時に見せる後家をも描いていたが、ここで母性と女性としての魅力という相容れない素材が扱われた。この点もまた、後家を母でありかつ女性として認識した結果だと言えよう。そして、南嶺と同様に上田秋成は『諸道聴耳世間猿で、子のために経済的困難を克服する力強い後家の姿を描きつつ、経済的困難を前後に変貌する普遍的個人である後家の姿を反映していたと見受けられた。これは後家を普遍的人間類型の一つとして認識するものと見受けられ、西鶴とは相違する観点だと言える。つまり、西鶴以降の浮世草子の中の後家は、夫に属する「妻」として描かれたのではなく、普遍的個人として描き出されていると思われる。このように西鶴以降の作家達が後家を普遍的個人として描き出した作品は『世間母親容気、『諸道聴耳世間猿であり、両作品とも気質物であるという点、注目に値する。つまり、類型人物を描いたとされる気質物というジャンルが類型の普遍性に関心を持ち、更に普遍的個人の描写に成功している点、後家の描写を通して理解できるのである。言い換えれば、後家に関しては、西鶴が当時の社会的通念に即して後家を夫に属する「妻」として類型的に描いた反面、南嶺と秋成は後家の性欲、財慾描写を通じて後家を普遍的個人として認識し、より深い人間観察に成功したと言える。したがって、西鶴の後家は気質物を通して「普遍的個人」に発展した点に意義があると言えよう。

목차

1. 서론
 2. 이하라 사이카쿠(井原西鶴)의 미망인 인식
 3. 사이카쿠 이후의 우키요조시
  3-1. 다다 난레이(多田南嶺)의 미망인 인식
  3-2. 우에다 아키나리(上田秋成)의 미망인 인식
 4. 결론
 [參考文獻]
 <要旨>

저자정보

  • 고영란 고려대학교 일본연구센터 HK연구교수. 일본문학 및 문화 전공

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

    ※ 기관로그인 시 무료 이용이 가능합니다.

    • 5,400원

    0개의 논문이 장바구니에 담겼습니다.