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北村透谷의 文學과 人生의 悲劇

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북촌투곡의 문학과 인생의 비극

矢野尊義

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초록

일본어

本稿は、北村透谷の作品と人生を悲劇という觀点から見なおし、再度分析したものである。今まで透谷の作品や人生を悲劇という觀点から總合的に分析した硏究はなかった。作品分析の硏究対象は、蓬萊曲と我牢獄と宿魂鏡を主とした。これらはみな處女なる女性との精神的愛を主題としているのみならず、主人公の死で終わるという点で一致している。ここに現われる女性は、みな現實の女性というよりも靈的存在であり、肉体を有していない靈魂として現われる。主人公はこの靈魂を慕ってやまないのであり、靈なる女性は彼の前に姿を現わすが、その結末は主人公を死へと導くこととなる。愛することによって死ぬという運命は悲劇である。ことに蓬萊曲は神(God)を求めた修道者が、悪魔の支配するこの世を去るために蓬萊山に來たのに悪魔の化身かもしれぬ女性の靈魂に迷わされ、結局愛のためにすべてを放棄して死ぬという点が悲劇であり、また主人公がこの世からあの世に移り、彼を迎えた靈魂が妻と名のりながらもそこが地獄であったということが悲劇である。我牢獄は主人公が女性を精神的に愛したにもかかわらず、牢獄に閉じ込められたような精神的狀況に陥り、ついには死へと追い込まれたことが悲劇である。そして宿魂鏡は愛する男女が引き裂かれて遠くにいたがとうとう耐えきれず、女性の靈魂が肉体を脫し、主人公の鏡に現れ、二人が愛を確認するやいなや現實に二人とも死んでしまうことが悲劇であり、女性の靈魂の陰に影のようにつきまとって動く怪物(悪魔)がいたことが悲劇である。これは女性の靈魂と悪魔との關連を示しており蓬萊曲のそれと同じである。透谷の精神的愛の対象となったと思われる教え子である松子は、卒業後、病で死ぬが、その後透谷も自ら死ぬ。二人のあまりにも短い人生は、それ自體が悲劇的だが、この最後が透谷の作品內容と一致していることが何より悲劇的である。このように透谷の作品と人生は、悲劇的であったが、透谷の人生が透谷の悲劇的作品を現實のものとしたところに最大の悲劇性があると言える。そして、このような悲劇性は、ヤスパースが悲劇論で述べた悲劇の內容と共通するものである。

목차

1. 서론
 2. 悲劇 『蓬萊曲』
 3. 『我牢獄』『宿婚鏡』의 悲劇
 4. 透谷의 悲劇
 5. 결론
 [參考文獻]
 <要旨>

저자정보

  • 矢野尊義 世宗大學校 일어일문학과 전임교수, 日本古代․近代文學專攻

참고문헌

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