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일본어の「면강」の의미개념について -학습すること、という의미で사われるようになった시기について-
초록
일본어
日本語と韓国語の類似性についてはしばしば論じられるが、語順が似ているとか、同じ漢語を用いる点、等を指摘する場合が多い。たとえば、学校教育に関する語について例をあげると、日本語の「教育」と韓国語の「교육(教育)」、「学校」と「학교(学校)」、「学習」と「학습(学習)」等のように、同じような漢語を同様の意味で用いる場合がある。しかし、中には日本でも韓国でも頻繁に使用しているが、異なった意味で用いている語がある。日本語の「勉強」と韓国語の「공부(工夫)」がそれにあたる。日本語では学習、または学習すること、学ぶことを「勉強」といい、「工夫」とはいわない。現代日本語の「工夫」は、「いろいろ思案して、よい方法を考え出すこと。あれこれと思いめぐらすこと。また、その方法。手だて。手段。」(精選版日本国語大辞典)の意味で、「勉強好きな子を育てるための授業の工夫」のような使い方をする。しかし、NAVER한자사전によると、韓国語の「면강(勉強)」には、「学習(する)」という意味はなく、「無理やりにさせること」という意味があるという。そのかわり、「공부(工夫)」に、「学習(する)」という意味がある。また、中国語の「勉強」にも、「学習する」「値引きして安くする」といった意味はみられない。この単語の意味は、「無理をする、無理強いをする」である。「勉強する」という意味の中国語は、「学习」である。本稿では、先行研究について言及したあと、日本語の「勉強」の意味について、辞書の記述をもとに調査し、①つとめはげむ。精を出す。②気がすすまないことを、しかたなしにすること。③学問や技術を学ぶこと。④経験すること。⑤商人が値引きをすること、値段をまけること等、幅広い意味があることを明らかにした。その際、先行研究で言及していた「しいてつとめる」「すこし無理をして・・・する」のような「勉強」の原義であるとも思われる意味の記述がみられる辞書とみられない辞書があることも明らかになった。その後、明治期の学制、小説、新聞等の用例を調査することによって、「勉強」が学校教育等において「学習(すること)、学ぶこと」という意味で広く用いられるようになった時期は、明治時代の初め頃からであったであろう、という結論を導き出した。
목차
2. 先行研究
3. 日本語の「勉強」の意味について
4. おわりに
[參考文獻]
<要旨>