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식민지시기 경성에서의 ‘취미’ -재경성(在京城) 일본인의 이념화 변용과정을 중심으로-

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신승모

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초록

일본어

1905年以後、ソウルに流入した植民知識階層は「新渡来者」と呼ばれた政策的植民者たちであった。「新渡来者」の定住が始まりながら在朝鮮日本人たちの、朝鮮での生活に対する態度に変容が起り始めた。それは朝鮮を一時的な渡航地、または短期滞留地として見なしていた感覚から日常的生活空間、または定住地として見なす認識への変容であった。この際、在朝日本人たちにとって直ちに切実となった要求条件の一つは、自分達の余暇生活が楽しめる趣味、娯楽施設の助成であった。このことは朝鮮に対する日本人の空間認識が変化したことを意味し、彼らが朝鮮で新たに企画することを通じて朝鮮の再場所化がどのような理念のもとで成されたかが見て取る。特に「植民地朝鮮の縮図」である京城の建設は、在京城日本人の「趣味」生活を考慮する中で企画されたものであり、このような側面はこれまで「京城」に関する既存研究では等閑視された観点でもある。本稿では植民地期京城における「趣味」がそれを呼び出す主体=在京城日本人の欲望に沿って時期別、少しずつ異なる理念を強調しており、その理念的使用の変容過程は京城という場所を巡った彼らの主体形成の過程とも密接に連動していたということを明らかにする。植民地期全般に渡って京城で刊行された日本語雑誌朝鮮及満州(前身の朝鮮を含める)、朝鮮公論などに対する検討を通じて、「趣味」の理念的使用が時期別に如何なる変容過程を示しているかを統合的に見てみながら、在京城日本人たちが「京城」をどのように再編しようとしたかを捉えてみた。1910年代は「趣味」の場所としての京城建設という企画のなかで、在京城日本人が「公共的趣味」の談論を通じて朝鮮人と既存の日本人居留民に対する「風俗改良」を理念的に図ったということが最も大きな特徴として挙げられる。1920年代は「大京城」建設の談論が盛行するなかで、「官」が構想する公的な趣味施設が形成し続けられながら、個人的嗜好に沿った自発的な趣味生活も多様化され始めた。個人的「趣味」への分化現象は、その分、京城という場所が在京城日本人にとって慣れてくる過程として理解できるし、1930年代の「消費」される京城で彼らは様々な消費文化と同時代のモダン風の流行を個人的趣味の次元で享有し始めた。

목차

1. 조선에 대한 인식의 변화와 ‘취미’
 2. ‘취미’의 월경(越境): ‘공공적(公共的)취미’와 풍속개량
 3. ‘대경성(大京城)’ 담론과 개인적 ‘취미’로의 분화
 4. 경성의 소비문화와 ‘취미’
 5. 마치며
 [參考文獻]
 <要旨>

저자정보

  • 신승모 동국대학교 문과대학 전임연구원, 일본근현대문학, 문화

참고문헌

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