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유미리의 『8월의 저편』론 -등장인물들의 디아스포라로서의 한(恨)에 관하여-

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스즈키 에이코

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초록

일본어

『8月の果て』は、主人公の雨哲との雨哲一族が、近代朝鮮の植民地支配下および解放後の混沌とした政局の中で、朝鮮⋅中国⋅日本にバラバラに暮らしながらディアスポラとして味わった離散の苦痛を描いたものである。多くの先行研究は、作家柳美里が在日コリアンとして取り上げ、韓国的な恨(ハン)に関係付けている傾向が見られるが、筆者は、柳氏は植民地支配と差別として看做される在日コリアンというより、祖国を離れた祖国喪失者の空虚感と痛みを抱えている広義のディアスポラとして考える方が妥当であると考える。本稿は、それを踏まえた上で、8月の果ての主要登場人物の生き方を通してみたディアスポラの恨(ハン)について考察した。小説の中心軸である雨哲は、マラソンランナーとしてオリンピックに出場出来なかった恨、弟や子供を亡くした恨、そして、植民地宗主國の全てを受け入れて生きていくしかなかった恨を背負いながら悲劇的な人生を送る。彼の弟である雨根もまた、自分の目標でもあったプロレタリア革命の実現を達成出来ず恨(ハン)を抱いたまま殺されてしまう。そんな雨根を慕っていた金英姫は、斡旋ブローカーに騙されて慰安婦になり、雨根と愛し合えなかった恨(ハン)や、他人の名前で生き、純潔を守れなかった恨(ハン)を抱いている。他にも、雨哲の女達が、暗い歴史の犠牲者になって恨を心に持ったまま消えていった。このように重要登場人物一人々々がディアスポラとしての恨(ハン)を背負っているのである。そして、それが作中人物として登場する柳美里によって恨(ハン)が解かれる。例えば、雨哲と雨哲の女達の恨(ハン)は、柳美里と巫子の口寄(シッキムグッ)を通して死者の話を聞いてあげる方法で、李雨根と金英姫の恨(ハン)は、二人が霊魂結婚式を挙行、極楽浄土へと昇天することができたことによって、解かれるのである。このことから8月の果てに登場する人物におけるディアスポラとしての恨(ハン)は、柳美里によって昇華したと言えよう。小説の最後まで生存している柳美里もまた、自分のルーツとディアスポラとしての恨(ハン)を認め、そのシコリから脱皮することができた。また、小説の最後に書かれている自由!とは、雨哲や雨根が言うような権力の前で抵抗する自由ではなく、抑圧されず、逃げる必要もない人生を送るという真の意味での自由を意味し、ひいては彼らが恨(ハン)から解放されたことを意味すると考えられる。

목차

1. 서론
 2. 『8월의 저편』과 디아스포라의관계
 3. 디아스포라로서의 ‘한’
  3.1. 죽은 자의 ‘한’
  3.2. 산 자의 ‘한’
  3.3. 이름을 빼앗긴 ‘한’
  3.4. 아내의 ‘한’
 4. 결론
 [參考文獻]
 <要旨>

저자정보

  • 스즈키 에이코 동국대학교 강사, 현대문학전공

참고문헌

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