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本論文は、聖徳太子伝の有力な発信地であった四天王寺と法隆寺の創建説を、聖徳太子伝の文脈から捉えようといいう試みである。四天王寺と法隆寺の創建に関しては建築史⋅美術史の分野で「史実」をめぐる数多くの論考が積み重ねられてきたが、本論文では、「史実」を確定するのではなく、聖徳太子伝の世界において、寺院の創建がどのように「記述されたか」という点に焦点をあてて検討を進める。そもそも、この二つの寺は、日本書紀編纂の時点で既にその起源が曖昧になっており、それが、新たな創建伝承を生み出す母体となった。また、日本書紀や縁起類には、矛盾する内容も含まれており、それぞれの寺で独自の解釈が施されていた。特に、曖昧な資料しか遺されていなかった法隆寺では、自らの寺の起源を遡らせる言説が中世になって登場し、寺の権威を高めようとしていた。
목차
1. 들어가며
2. 四天王寺 창건과 『日本書紀』의 문제점
3. 四天王寺가 창건된 위치
4. 法隆寺의 창건 연기
5. 맺음말
[參考文獻]
<要旨>
2. 四天王寺 창건과 『日本書紀』의 문제점
3. 四天王寺가 창건된 위치
4. 法隆寺의 창건 연기
5. 맺음말
[參考文獻]
<要旨>
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