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성서적 모티브의 변용 -오에 겐자부로『홍수는 내 영혼에 이르고』-

원문정보

심수경

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초록

일본어

大江健三郎『洪水はわが魂に及び』における主人公大木勇魚はかつての自分のすべてを棄て障害を持つ息子ジンと核シェルターに住んでいる。彼はそこで「鯨の魂」「樹木の魂」と魂の交感を持つ。しかし、これはあくまで勇魚自身の自己増殖の結果にすぎない。勇魚は「自由航海団」と名乗る不良少年らと交渉を持ち、彼らに「言葉の専門家」として受け入れられる。彼らは自分達の集団が何を目的として行動を共にしているかを分からずにいる<意味不在>の集団であったが、勇魚の<教育>によって彼らに言葉が教えられ、それによって彼らは自分達の行動の意味を誕生させることになる。言葉は意味であり、思考であり、イデオロギーである。作品の中で父親の勇魚にしかなつかなかった息子ジンが不良少年らとすぐ融和できたのは、彼らが共に言語的絶縁体であったためである。少年らは学校教育をろくに受けたことがなく、ジンは知的障害を持っているわけである。また勇魚はイナゴとタカキに漢字を当てる役割をし、自分の以前の名前を棄て鯨と樹木の代理人を示すような大木勇魚という名前を自ら命名するものでもある。命名者、これはまさに宗教的世界において神のような存在である。一方、この作品のタイトルはキリスト教の旧約聖書「詩篇」から由来するが、大江は「詩篇」から次第に「ヨナ書」の声に推移していったと述べる。それはヨナの神への対抗姿のためであり、大江はヨナを不屈のデモクラットと言う。大江はヨナから不順、対決という「革命」的傾向を受け取ったわけである。勇魚は「革命」を通し<死>を遂げ、<浄化><自己救済>へ至ろうとする。勇魚は過去、政治家「怪」の性的欲求を満すための少年たちを誘ったり、「怪」の部屋で死んだ少年の死体を遺棄した経歴があるわけである。勇魚はジンが障害持ちであることも自分の「あれ」のためではないかと罪悪感に苦しむ人間なのである。このため、勇魚は「革命」と<死>を選び、自分を浄化し救済に至ろうとする。勇魚の「すべてよし!」は自分の死が成し遂げられる事への言葉ではないだろうか。

목차

1. 서론
 2. 오키 이사나와 고래․나무의 교감에대하여
 3.「언어의 전문가」오키 이사나와「자유항해단」
 4. 성서적 모티브와「혁명」
  4.1 「시편」에서「요나서」로
  4.2 「혁명」의 의미
 5. 결론
 [參考文獻]
 <要旨>

저자정보

  • 심수경 상명대학교 일본어문학과 겸임교수, 일본근현대문학

참고문헌

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