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초록
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この論文は「下紐」習俗が発生してから平安時代にどのように享受され固着していったかについて考察したものである。所謂「紐」や「下紐」の民俗や信仰が、時代が経つにつれて、ことばの内部にどのように構造化していったかを明らかにした。万葉時代には、「紐の結び」の伝統があって、恋人同士が別れる前に互いの魂を分け与えるという意味で、「下紐」を結び交わした。その結び目は再会するまで解けることなく維持されるのが原則であった。その「結び目」が解けたり切れたりするのは互いの魂の遊離を意味し、不吉なものであった。ところが片方では、「下紐解く」ということを、離れている二人が相手を思い、その強い思いが魂の片鱗である下紐の結び目に作用して自然に解けるという考え方をも有していた。平安時代には後者の「思ふ心のしるし」としての「下紐」信仰のみが影響力を持った。つまり、魂の遊離という不吉な意味は排除されたのである。表現的には男女の共寝を形容するものとしても用いられたが、「紐」でなく特に「下紐」の場合は呪術的な信仰表現に絞られていった。さらに、「下紐」の表現は多様化して、「夜半の下紐」「花の下紐」「下紐の関」といった慣用句を産み出していく。万葉時代には全くなかった表現である。「夜半の下紐」は男女の間柄が親密なってうちとける様子を、「花の下紐」は女性が男性に身をまかせる表現から花のつぼみが開く様子、を表す表現として定着していった。なお、「下紐の関」は片想いの障害物か、男女が逢ってはいるがそれにも関わらず存在する障害物の象徴として用いられた。このような三つの慣用句は所謂「下紐」の俗信的要素は有していない。万葉時代の表現に直接に繋がらない平安時代独自の表現として発達していく。これにより色好みの時代の「下紐」に関する取捨選択の基準が解明できたと判断される。
목차
2. 万葉時代の「紐」信仰の形態
3. 平安和歌における「下紐」の詠まれ方
4. 結論
[參考文獻]
<要旨>