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富士川流域における盆と施餓鬼供養の地域的変容 -柳田国男の固有信仰論の再検討

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Regional Transformation of Fujigawa River Basin’s the Bon Festival and the Rite for Bestowing Food on Hungry Ghosts -Reexamination of Yanagita Kunio’s theory of proper-belief

후지가와강 유역의 본행사와 세가키공양의 지역적 변용 -야나기타 구니오의 고유신앙론에 대한 재검토

池映任

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초록

영어

This article reviewed the regional features of the Bon Festival and he rite for bestowing food on hungry ghosts(=Segaki) offering which were practiced on the riverbasin of Fujigawa from the Buddhist and folk perspective to reexamine Yanagita Kunio’s theory of proper-belief. The Bon Festival and Segaki offering in Fujigawa basin show mixed aspects of Nagarekenzyo, Mushiokuri and a memorial for war dead. Especially, a mixture of Nagarekenzyo and Mushiokuri is not only a regional feature, but at the same time, it is also a regional transformation. Despite the purpose of showing lament to the drowned, there are several more elements in common that these ceremonies share with Segaki offering. For example,Muenbotoke, which wishes to get over with sweltering summer without severe diseases, or an offering for straying souls that could not go to the world beyond because of their tragic death. The essence of Muenbotoke, and the hungry ghost’s existence that were emphasized on the Bon Festival, is apt to be considered as a mixture of outer factors likes Buddhism and traditional folklores. But, Yanagita Kunio explained Japanese’s spiritual concept by focusing on the theory of proper-belief which led to a denial of Buddhism and Japanese traditional view on the otherworld. This research points out that Yanagita’s hypothetical theory of proper-belief should be reappraised based on the direct field.

한국어

본고에서는 불교민속의 관점에서 후지가와(fujigawa) 강 유역에서 행해지는 본(bon)행사 와 세가키(segaki)공양의 지역적 특징을 검토하여, 야나기타쿠니오의 고유신앙론을 재검토 하는 것을 목적으로 하였다. 후지가와 유역에서 나타나는 본행사와 세가키공양은 나가레칸 죠(nagarekanzyo), 해충쫓기(mushiokuri), 전사자제사와의 습합이 보이는데, 특히 나가레칸 죠, 해충쫒기와의 습합은 이 지역의 특징임과 동시에 지역적변용이다. 이러한 행사들이 세 가키공양과 공통적인 요소를 지니는 것은 익사자의 영혼을 애도하는 목적 이외에도 질병이 만연하기 쉬운 무더운 여름을 무사히 극복하려는 바람으로 무연물(muenbotoke) 또는 비참 한 죽음을 맞이하여 저 세상으로 가지 못하고 방황하는 영혼에 대한 공양의 의미가 크다 고 할 수 있다. 이와같이 본 행사에 특히 강조되는 무연불, 아귀의 존재의 본질은 불교 등 의 외래의 요소와 일본의 재래의 민속과의 습합으로 간주해야하는 부분이 있으나. 야나기타 쿠니오는 고유신앙론을 축으로 일본인의 영혼관을 설명함으로써 불교뿐만 아니라 일본 고 유의 타계관마저도 부정하는 결과를 낳았다. 이러한 점은 가설로서의 야나기타의 고유신앙 론이 직접적인 필드에 근거하여 재검토되어야 함을 지적하였다.

일본어

富士川流域で行われた調査に基づいて、盆行事と施餓鬼供養の地域的変容を探ってみた。家の盆行事の際には無縁仏も祀られているが新仏、祖霊に重点が置かれており、寺や村共同の川施餓鬼の際には祖霊も祭られているが餓鬼⋅無縁仏、新仏の供養に重点が置かれている。まず、盆に寺院で行われる施餓鬼の場合、新仏に重点をおかれているものが多い。事例1、2、3、4のように施餓鬼供養には新盆の家がゲストとして参加しているが、地区によっては新仏供養が中心になっているところもある。最上は『西郊民俗』無縁仏特集号(1960)とその後の資料から、「無縁仏が盆における供養の中心からはなれてゆき、非業の死にあって、浮かばれない亡霊がそれに代わり、やがて新仏が、それから一般の仏が供養の中枢にすわり、それも場合によっては全く忘れられてゆく」と分析している。最上の施餓鬼供養における供養の対象への変化は富士川流域の寺院で行われる施餓鬼の場合にも当てはめることができよう。一方で、村共同で行われる施餓鬼も無縁仏または水死者の霊を慰めるためであったものが、いつか新仏も祀るようになり、祖霊のための供養も併せて行われていることも注目できる。 このように無縁仏から新仏へと供養の対象が変化するのは無縁仏と新仏の類似のためであろう。死後の祭りを十分にうけられない無縁仏は、安らかに落ち着くことができず、絶えずこの世にさまよいでて、世の人々に禍をおよぼすと考えられている。新仏も充分に清まった落ち着いたものではないため、人々に不安を与えるものである点において、無縁仏に類するものがある34)。したがって、寺や村共同体の施餓鬼供養において無縁仏の祟りやすい性格を有する新仏を盆に迎え祀ることによって、その性格を和らげることに意味があったと考えられる。 それでは実際に盆にくる霊はどのように変化したのだろうか。また、それは柳田がいった「三種の霊」とどのように違うのだろうか。この点と関連して興味深い点は、静岡県富士郡芝川町廻沢の事例である。廻沢では村人中心の施餓鬼に僧侶が来て読経を上げるが、支度をするのは村人であり、僧侶は一切関与しない。また、参考になるのは山梨県南巨摩郡南部町本郷の事例であるが、本郷寺の住職は施餓鬼を寺の行事というより住民の積極的な働きかけによって習慣的に行われる行事であると語った。このことは、村共同の施餓鬼と寺院の施餓鬼の由来が異なることを意味し、また、その対象も異なることを物語る。最上は、仏教が伝来された最初のごろの盆行事は「村人共同に浜辺や川原その他の広場で華々しくまつられ、その期間も盆月一杯におよぶ長期にわたるものともなった。後々仏寺が檀家の死者供養に力をそそぐようになると、仏寺で行われる施餓鬼供養も、施餓鬼といいながら檀家新仏の供養を主とするようになり、さらには檀家一般精霊の供養のみがめだつようになる」と述べている35)。最上のこの指摘は、元々村人共同の祭りであった盆行事が、江戸時代以降成立した檀家制度により、各家の死霊供養が中心となり、また寺で行われていた施餓鬼も各家の死霊供養に力を入れるようになったことを意味する。すなわち、先祖祭や祖霊祭の原型となるものは、村施餓鬼や寺施餓鬼であり、村施餓鬼のほうが歴史的には古いと考えられる36)。 ところが、最上のこのような主張は柳田の主張と相反するように思われる。盆を祖霊の去来する日とみたのは柳田であったが、盆は日本では祖霊祭祀的な面が強められる一方で、施餓鬼の語にあるように、餓鬼に食を施すという観念も強い。しかし、柳田は日本人の伝統的な固有信仰を追求することに主力を注ぎ、固有信仰と互いに影響しあっている仏教などの外来宗教の固有信仰への影響を探ることを忌避した。柳田は『先祖の話』において、「日本の外精霊は統一も何にもなく、またどうして手分けをして入って来るのかの、理由が明白ではないものが多かった」(p102)、「仏教はむやみに個人の年期の供養のみを強調し、省みられない幽霊は多くなるにきまってる」(p103)など無縁仏の要素を仏教の影響とし、また新しい追加としてとらえている。すなわち、柳田は無縁仏の要素が仏教の影響であることを主張することによって仏教が先祖の供養より、無縁仏の供養に力を入れたという解釈を成り立たせたのである。無縁仏の本質をなすものを、仏教などの外来の要素とまた日本の在来の民俗との習合としてとらえるべきであったが、祖霊信仰を軸に日本人の霊魂観を説明することによって、仏教だけではなく、日本人固有の他界観までも否定する結果になったのである。 柳田が『先祖の話』で提唱した固有信仰論は現在まで多くの民俗学者によって受け継がれており、現在まで多くの民俗学者に多大な影響を与えている。しかし、柳田の固有信仰論が戦時下、特定な状況のもとで提出された学問であったがゆえに、そのような特殊の状況を考慮しなければならない。柳田は『先祖の話』の最後の部分で「少なくとも国のために戦って死んだ若人だけは、何としてもこれを仏徒のいう無縁ぼとけの例に、疎外しておくわけには行くまいと思う」と述べている。戦死者は日本人の伝統信仰からすると無縁仏になるのだが、柳田はそうした伝統信仰を否定し、その無縁仏を仏教の影響とすることで戦死者が無縁仏になることを防ごうとしたのではないか。こういう論理からすると、盆は祖先⋅無縁仏のための祀りではなく、「我が国固有の祖先祭」にならざるを得ないのである。したがって、柳田国男の固有信仰論は具体的な民俗事象に基づき、再検討される余地を多く残している37)。 本稿は仏教民俗の観点から富士川流域における盆と施餓鬼供養の地域的変容を通して超時代的に連綿と固有信仰が存続してきたと捉えがちであった柳田の固有信仰論を再検討する作業を試みることができた。今後の課題として、東アジアにおける「盂蘭盆供養」の受容における変容とその意味について考察することによって、日本にの盆行事をより広い視野で眺めて行きたい。

목차

1.はじめに
 2.富士川流域の盆行事
  2.1 調査地概要
  2.2 家々の盆行事
 3. 富士川流域の施餓鬼供養
 4.富士川流域における盆行事と施餓鬼供養の地域的変容
 5.おわりにー柳田国男の固有信仰論の再検討ー
 reference
 abstract
 영문 abstract

저자정보

  • 池映任 지영임. 大邱カトリック大学多文化研究所 研究員

참고문헌

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