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日本における朝鮮人危険視の歴史的背景 - 関東大震災時の朝鮮人虐殺の前提とその後 -

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Historical background of xenophobia, regarding Koreans as dangerous in Japan - Massacre of Koreans in The Great Kanto Earthquake, The condition sand afterwards -

外村大

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초록

일본어

在日朝鮮人は関東大震災時の虐殺事件に見られるように日本人から迫害を受けてきた。それは日本人民衆が朝鮮人を危険視していたためでもある。本稿では日本人民衆の間に存在していた朝鮮人に対する危険視がどのように形成されていたかを新聞報道や人口移動のあり方から考察した。そこでは以下のようなことが確認できた。まず19世紀末から1920年代初めにかけて朝鮮人の抗日運動はかなり頻繁に報道されており、そのことは日本および日本人に危害を加える存在としての朝鮮人像の形成に寄与した。しかも1920年代に入ると日本内地に危険な朝鮮人が入り込んでいることが報道されるようになっていた。そして、関東大震災直前の時期は朝鮮人の日本渡航が急増し、特に東京地方への朝鮮人流入は著しかった。このことが関東大震災時の朝鮮人に関するデマを浸透させる素地となったと考えられる。そして、その後においても行政当局は「内鮮融和」や「内鮮一体」を宣伝したものの、当局自身も当然、朝鮮人を警戒し続けたし、民衆レベルでも日本人の朝鮮人に対する危険視は薄らぐことはなかった。そのことは日本帝国の危機である戦争末期には露骨に表出されていた。

목차

1、課題の設定
 2、朝鮮植民地化以前の日本の“朝鮮の暴徒"報道
 3、独立運動の激化と「不逗鮮人」報道
 4、日本内地の「不還鮮人」をめぐる記事の登場
 5、1920年代初頭における朝鮮人の流入と民族関係の変化
 6、関東大震災以降の日本人の朝鮮人認識
 7、まとめと今後の課題
 拳考文献
 要旨

저자정보

  • 外村大 외촌대. 東京大学 総合文化研究所 准教授

참고문헌

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