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植民者二世の文学と朝鮮」 ― 小林勝と後藤明生の文学を中心に ―
초록
일본어
本稿では主に小林勝と後藤明生の作品を論じながら、彼ら朝鮮植民者二世が産み出した文学が、植民地と戦争を経験していない日本の戦後世代に、歴史的経験に対する記憶の分有(sharing)と継承を可能足らしめる蓋然性を探ってみた。小林の作品では小説「目なし頭」(1967)、「日本人中学校」(1957)といくつかのエッセイを合わせて見てみながら、作者が作中の人物や事件の造形、形象化を通じて、歴史的経験に対する一個人の記憶を戦後日本社会の「忘却」に対するアンチテーゼとして喚起させていることを論じた。後藤明生の作品では「無名中尉の息子」(1967)、「父への手紙」(1972)、挟み撃ち(1973)など、作者自身が北朝鮮で迎えた敗戦体験と引揚げの過程、そして戦後の生活をモチーフとした初期の作品群を見てみながら、作中の話者が行う「記憶」探しの旅行が、常に「今ここ」の日本社会で植民地生まれの二世が生きていくことの意味を見い出そうとする営みへと繋がっていることを指摘した。こういう意味で後藤明生の作品の中の話者は、単に「朝鮮」にまつわる記憶にのみ詮索したというよりは、あくまでも戦後日本社会で暮す話者自身の「現在」を模索する方式を重視しているのである。それから本稿では「朝鮮」体験と記憶を巡った日本人作家の世代間の違いと、その集団的アイデンティティの特徴をいくつかのテクストの文面を通して見てみ、それを対比的に浮き彫りにした。このことは帝国植民地期にすでに登壇して既成作家として活動していた既存の在朝日本人作家たちと、敗戦当時は未成年であって戦後の日本でデビューした植民者二世たちの作品傾向と思想には明らかに弁別される相違点があると判断したからである。また、植民者二世の出身者の中でもその年齢層に添ってより細分化して議論すべき必要性を指摘しながら、故郷=「朝鮮」に対する認識の違いなどを含めて世代間における集団的アイデンティティの特徴を見てみた。
목차
2. 고바야시 마사루(小林勝)의 「눈 없는 머리(目なし頭)」와 「일본인 중학교(日本人中学校)」 - 그로테스크한 기억과 ‘괴물’의 탄생
3. 고토메이세이(後藤明生)의 초기작품군 - 식민자2세 출신자의 ‘기억’ 찾기 여행과 ‘지금-여기’
4. ‘조선’ 체험과 기억을 둘러싼 일본작가 세대론
참고문헌
要旨
