초록
일본어
小説という名前は日本の江戸時代にも一般化されなかった。 明治時代に 入って西周は Romanceを稗史, Fableを “小説”で翻訳した。 現代の意味で “小説”が使われ始めたのは坪内逍遥の『小説神髓た。韓国の初期西洋文 芸理論の受容は, 『大韓毎日新報』,『新文界』,『学之光』,『朝鮮文芸』,『半島 時論』,『泰西文芸新報』, 『創造』, 『廃墟』などを舞台として, 李光洙の文学 概論, 金億と白大鎭の文芸思潮, 玄哲の小説論と戯曲演劇論, 安自山の文学 史, そして黃錫禹の詩論などが代表的である。 李光洙は, 近代的文学論を最初に開拓したが, 韓国文学の否定して, また 儒教を徹底的に壊して, 日本文学だけを一つの法典のように受け入れた。 李 光洙の影響源ではトルストイ・魯迅・胡適・陳独秀・夏目瀬石・坪内逍 遥・島埼藤村・本間久雄・芳架矢賀と厨川白村・島村抱月・木下上江・国 木田独歩など, 数え切れない人が挙げられる。しかし, 早稲田美辞学との関 連性全体が明かになれば, 初めて李光洙の文学理論受容の全貌が体系化さ れるだろう。金億は厨川白村の 『近代文学十講』の影響を受けた。以外に も上田敏や当時の金億が通った慶応義塾の教授の永井荷風の間接的影響も うけることができた。白大鎭の影響源は追跡しにくいが, 彼が福沢諭吉の狂的な崇拜者 だったという証拠は彼の論文の中でも見つけられる。玄哲の小 説論は島村抱月よりは坪逍の 『小説神髓』の影響が大きかった。玄哲と島村 との関係に対してはもっと研究しなければならない。実質的には中村吉蔵 の影響も研究されなければならない。黃錫禹は自由詩運動とシンボリズム 詩を紹介して作品を翻訳することで象徴注義運動の騎手として注目され た。
목차
2. 연구사를 겸한 한일 초기 문예평론사 반성
3. 한일 초기 문학론의 양상과 특색
4. 발신자 추적을 위한 검증
5. 결론
참고문헌
日文抄錄
