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田中英光における戰中と戰後 - 「天馬」と『醉いどれ船』を中心に -

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전중영광における전중と전후 - 「천마」と『취いどれ선』を중심に -

秋錫敏

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초록

일본어

戰中、田中英光は二度にわたり朝鮮での生活をした經歷がある。その第一回目は一九三五年四月から三八年六月までであり、この時期の體驗を原型として書いた作品に「時刻」「愛と靑春と生活」等がある。第二回目は一九四○年一月から四二年十二月までである。この時期の驗を原型として戰後になって書いたのが、これから考察する、問題の『醉いどれ船』である。その他に朝鮮を舞台に書いた作品には「雲白く草靑し」、「碧空見えぬ」、「海洲港にて」がある。これらの作品の中で、特に『醉いど
れ船』は、日帝の植民地下における朝鮮文壇の側面史をうかがうことのできる、資料的にも重要な作品である。
 さて、『醉いどれ船』に對する私の關心は、過去の歷史卽ち韓ㆍ日關係の問題にあるのではない。混沌の時代下における田中英光という文學者の作品を通じて、戰中ㆍ戰後といった時代の意味を取り出して見たいというのが、この論の主な趣旨である。卽ち、『醉いどれ船』の主人公坂本享吉(戰中)と作者田中英光(戰後)の問題がそれである。日帝という時代は朝鮮と日本の文人にとって、耐え難い試練の時代であった。時の田中も、止むを得ずに國策文學、日帝の政策、政治に手を貸したのであろう。戰
時下という時代であっただけに、田中のそのような戰中の行動を我は十分理解できる。しかし、問いたいのは田中の戰後の行動である。卽ち坂本享吉を作りあげた田中英光の姿勢であり、いわば戰中の思想の屈折に對する自省ㆍ自己批判をしないで、自己辯護だけをるという作家的良心が欠如している問題である。
 『醉いどれ船』は田中が作家的良心を打ち捨てることによって戰後に書いた、戰中の自己への僞瞞に滿ちた辯護であったのだ。坂本享吉は田中英光によって描かれた自畵像であるが、現實の田中は坂本享吉にはなれなかったのであり、またなることもできなかったのである。私は、このような坂本享吉、盧天心及び他の登場人物、そして彼らの戰中と戰後の姿勢と行動を見て、權力と迎合した文學と文學者を見ることができるのであり、また韓日近代文學が共通に抱えもつ悲劇的な矛盾の一つの象徵的な
形を見るものである。

목차

Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 戰中の田中英光
Ⅲ. 田中英光と坂本享吉 
Ⅳ. 盧天心と坂本享吉
Ⅴ. 終わりに

저자정보

  • 秋錫敏 추석민. 신라대학교 일어일문학과 교수, 일본근현대문학

참고문헌

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