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금양における화가리용の독자성 - 등원정가における본가취り기법との비교を시みて -
초록
일본어
平安末期の流行かである今樣は多くの人に愛された。後白河院やその側近の貴族のほかにも、時卑しめられていた遊女傀儡女白拍子によって今樣は作られ謠われてその命脈が承されていたのである。しかし、歌謠である今樣はどうしてこれほどまでに流行を浴びたのか。それはバリエションの豊富さによるのであろう。そのバリエションの一つとして、特に、貴族の詩歌である和歌を今樣の中に取り入れて創
作する方法を明らかにしてきた。その一環として、本論文では、創作方法としての和歌の利用を藤原定家の本歌取理論と比較して、和歌を利用して創作した今樣の獨自性を述べた。
本歌取理論は、中世に頻繁に行なわれていた和歌創作の一技法であった。定家は、第一、古歌の表現をそのまま使って新しい內容の歌を詠む、第二、本人麻呂などの先人の詠んだ歌の世界に自分を浸らせる、第三、七八十年內の歌人の詠んだ獨特な歌句は一句たりとも使ってはならない、第四、古歌を取り入れて新しい歌を作る際には內容の違ったものにする、など事細かに本歌取について理論づけている。しかし、これらの理論に今樣を照らしてみると、第一と第二の項目はてはまるが、第三の項目 以下はあっていない。かえって、絶對してはならない近代の人の歌をも今樣に取り入れている。これこそ今樣の特徵であろう。もちろん、和歌と今樣との比較は正しい方法ではないかもしれないが、技法として類似している本歌取との比較は今樣の獨自性を明らかにするのに役に立つであろう。
なぜ、今樣は和歌の本歌取技法において禁止している方法を利用して今樣にしたのであろうか。それは、『八雲御抄』の記述のように好きな歌であるから今樣にしたのであろう。堅苦しい和歌よりは歌謠の持つ卽興性という性格であるからこそ自由に「謠い替え」ることができ、このような破格ができるのではないだろうか。和歌の技法を熟知していた後白河院サロンの記錄たちにとって好きな和歌を好きな今樣にする、このような自由さがあって今樣が流行歌たり得た理由ではなかろうか。
목차
Ⅱ. 本論 歌論書における本歌取技法に關する理論と今樣における和歌攝取との比較
1. 古歌の歌詞使用と本歌になる歌集の範
2. 本歌として利用した歌の作者について
3. 近代の歌人の歌は本歌とすべからず
4. 詞の用法
5. 今樣の和歌取の獨自性
6. 和歌攝取の理由
Ⅲ. おわりに