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忠臣藏で日本を讀む

충신장で일본を독む

이준섭

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초록

일본어

『』忠臣藏は『日本人論』の恰好の素材として、日本國內外から注目されてきた。しかしその多くは依然として四十七士を『義士』として賞贊するものであり、學問的批判に耐えうるものではない。近世近代社會において、忠臣藏は著名であるがゆえに、多くの言說が付され、さまざまに讀まれてきた。
 忠臣藏がどのように讀まれてきたかは、忠臣藏がその時代と社會を映し出す鏡であり、こうした視角からの忠臣藏の硏究は今後さらに必要であろうと思うので、今度の考察は『忠臣藏で日本を讀む』というテマにして進めた。日本人にとっての最も人氣の高い芝居の忠臣藏、この國民劇にスポットをあてると、多方面にわたる日本、日本社會、日本人の姿が現れてくると思う。
 切腹直後から名手本忠臣藏以前は彈壓の時代である。元祿十二年に幕府は實際の事件をモデルにした芝居などの上演を禁じている。赤穗事件は多くの人びとの同情と共感を得たようだが、切腹十二日後から上演された芝居は三日で打切り。それでも四十年間に二十本以上のモデル芝居が上演されてはいた。そして傑作がついに登場したのである。<忠臣藏>の決定打の名手本忠臣藏である。幕府に遠慮して、時代は南北朝時代に移されてはいるものの、絶大な支持を集めた。この作品があまりにもよくできていたせいで、この事件は今にえられる。<忠臣藏>という言葉もこの時に初出して今に至っている。
 傑作登場後、美談が形成する。明治に入ってから、講談、浪曲で<忠臣藏>のエピソドは美談として形成されていく。講談では一龍齋貞山、浪曲では桃中軒雲右衛門。雲右衛門は自らを“武士道鼓吹者”と呼び、自作の義士銘で大ヒットをとばした。この熱狂の中で、明治の近代化はすすんでいった。明治以降、政府は『忠君愛國』を國民道德として揭げ、<忠臣藏>はかっこうの題材となってしまった。この時期に、忠臣藏は、精神論を軸にした、一種のにおいを强く持つようにもなっていった。第二次大戰直後、GHQによって<忠臣藏>は民主化に對する危險思想とされた。明治末からは映畵も續とつくられた。
 終戰直後には『民主化にとっての危險思想』として一時GHQに上演禁止とされた忠臣藏も無事復活した。高度成長期、高度成長期、サラリマンは<忠臣藏>に自分たちの會社生活を重ねあわせて觀た。組織のなかでの人間模樣として、それぞれの人物の眞情にスポットがあてられていく。堺屋太一原作の『峠の群像』も組織論として讀める。つか版忠臣藏はこのアンチである。精神論組織論を全くはなれた池宮版( 『四十七人の刺客’』九十四年刊)は四十七士をテロリストとしてとらえた。その翌年、堺屋
版( 『俯き加減の男の肖像』)は、元祿後の不況を現代に重ねた、<不義士>物語。バブル以降の忠臣藏である。
 以上のように、各時代を代表する忠臣藏はいつも登場してきた。社會の現實の世相に立ち向かって發言した、その絶えざる作品の系譜は<忠臣藏で日本を讀む>文化財産であると思われる。

목차

Ⅰ. 머리말 
Ⅱ. 비극의 발단 
Ⅲ. 의리지상주의 
Ⅳ. 주신구라 문화 
Ⅴ. 맺음말

저자정보

  • 이준섭 李濬燮. 경북대학교 일어일문학과 부교수, 일본문화

참고문헌

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