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鄕歌의 唱詠形態 - 和歌ㆍ樂府詩와의 比較를 통해서 -

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향가의 창영형태 - 화가ㆍ악부시와의 비교를 통해서 -

西條勉, 이권희

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초록

일본어

本論文では、鄕歌の唱詠形態を、日本の和歌との比較によって考える。日本の和歌史において、記紀歌謠と万葉和歌の間には斷絶がある。記紀の歌謠は音樂的に歌われたものであるが、万葉集の定型和歌は歌われない歌、つまり讀まれる歌であった。音樂的に歌われる歌謠が音樂性を脫却させるにつれてことばのリズムだけで成り立つ定型和歌が成立したのである。このことは、中國の樂府詩においても言えることであり、“歌うことから讀むこと”への轉換は、定型抒情詩成立の普遍的な現象であるといえる。鄕歌のばあいはどうであろうか。
 きわめて寡少な資料から結論を導き出すのは危險であるが、殘存二十五首の形式を四句體ㆍ八句體ㆍ十句體に類別したうえで見ると、均如が制作した十句體について言えば、文字に書いて讀まれるべきものであったことが伺われる。
しかし、四句體ㆍ八句體を主にしたと思われる初期の鄕歌をみると、たとえば四句體の『薯童謠』は地の文に『歌謠を作って子供達に歌わせた』といった說明が付けられていて、音樂的に唱歌するものとされている。同じく四句體の『獻花歌』も唱歌で、他の四句體『風謠』は勞働歌、僧月明が作って『樂の始め』とされている『兜率歌』も音樂的な唱詠形式をとる歌謠の起源とみなされていたのであろう。有名な『處容歌』(八句體)にしても舞踊歌であった。
 これらの点からみて、鄕歌ははじめ四句體ㆍ八句體の舞踊歌ないし唱歌として民間に行われていた歌謠文學に屬するものであって、それが形式的に整えられて十句體に洗練されていったのではないかと考えられる。この變化は、歌舞音曲としての歌謠から言語芸術としての定型抒情詩はの變化であって、ひとくちに鄕歌の名で括られていてもその文學史的な段階は異なっていると見なければならない。いわば鄕歌の內的な發展なのであり、そしてまたその變化は、日本の和歌や中國の樂府詩などにも認められる定型抒情詩成立の普遍的な現象でもあったわけである。
 こういった本質的な變化は歌體の面にも現れており、十句體『八句體ㆍ+二句體’』という二部形式をとるのも、定型抒情詩成立の問題として捉えなければならない。十句體の前半八句と後半二句の間には」『後句』『落句』といった語辭が揷入され、前後の區切りが示されている。前後の表現內容は、前半八句で事柄の敍述を行い、後半二句でそれを心情的に收斂させるかたちになっている。すなわち、前八句は“事”の敍述、後二句は“心”の表現となっており、当然、後二句が主情的內省的であり、作者の抒情を凝縮する部分になっている。
 このような“事+心”の二部形式も和歌や樂府詩に見られる形であり、鄕歌もそういった普遍形式の一つに加えることができる。この形式の特徵は、心情表現が事象表現から分離し、抒情表現としてより純粹な形式になりえていることである。このような形式は歌われる歌、あるいは音樂的な舞踊歌には見られないものであり、歌謠が歌われなくなり言語表現として自律していく過程で心情表現が身體的な表現から分離し、言葉の表現として純化していくことで生み出される形式であろう。

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 노래하는 것ㆍ송영(誦詠)하는 것
 Ⅲ. 이부형식의 성립
 Ⅳ. 맺음말

저자정보

  • 西條勉 서조면. 전수대학 문학부 교수, 일본고대문학
  • 이권희 단국대학교 일본연구소 책임연구원

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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