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黃玹의 著作物 간행과 연구 현황

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黄玹の著作物刊行と研究現況

황현의 저작물 간행과 연구 현황

홍영기

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초록

일본어

黄玹(1855~1910)は韓末の詩人と同時に史家に活動している途中 殉節 一人物だ. 彼は2千余數の詩と『梅泉野録』, 『梧下記聞』, そして『東匪紀略』などの著述を残した. 黄玹の著作物は彼が死んだ直後から刊行された. 彼 の友達と同時に史家である金沢栄によって中国で刊行された『梅泉集』(1911)と『梅泉続集』(1913)を始まりに1910年代以後絶え間なく刊行されて 来たのだ. この文では黄玹の著作物刊行と研究現況を検討しようとする. 黄玹の 殉国100週期を迎えた時点で今後の研究方向を見積るための試みだと言え る. ただ, ここでは筆者の専攻と連関された歴史学界の成果物を主として よく見た. 本論で言及した内容を要約した後今後の課題を簡単に提示し ようとする. 黄玹の著作物は全南求礼を中心に活動した彼の弟黄瑗を含めた彼の後 学と門人らが日帝の監視と弾圧の下であらゆる難関を乗り越えて刊行し た. しかし『梅泉野録』を含めた抗日的色彩の強い著作物は日帝強制占領 期間に刊行されることができなかった. 解放以後国史編纂委員会では『梅 泉野録』を韓国史料叢書第1集で刊行したが, これを始まりに現在まで影 印本と翻訳本が持続的に刊行されている. あれほど黄玹の著作物に対す る学界と一般人の関心が大きいと言える. しかし黄玹の詩を含めたすべ ての著作物がいまだに定本化になることができなかった関係で正確性と 完結性がちょっと落ちると言える. 黄玹に対する研究論著は総108編(著書含み)で,1960年代中盤に始まっ た以来1980年代以後に本格化された. このなかに歴史分野では37編の研 究成果を蓄積したが文学分野に比べれば半分水準に過ぎない. しかし単 一人物に対する研究が100編を上回るという点で非常に異例的と言えて, 文学分野の研究熱気は現在まで持続している. そして修士学位論文は総29編だが,その中歴史分野12編, 文学分野17編 で文学界の関心がもっと高いことが分かる. 歴史分野は1990年代に比較 的関心が高かったし, 文学分野は1980年代以後現在まで関心が持続して いる. 特に文学係の持続的な関心は8編の博士学位論文が言ってくれてい る. これに反して歴史学界ではいまだに博士学位論文がただ1編もないと いう事実が惜しいだけだ. 歴史分野の修士学位論文テーマは概して『梅泉 野録』と現実認識,そして黄玹の思想と東学認識などを分析するのに集中 されている. もう黄玹研究のための至急な課題では第一に韓国近代史の代表的な史 料である梅泉野録の定本事業だ. そして『梧下記聞』など黄玹のすべての 著作物を発掘整理して定本化と,それを土台で翻訳事業が成り立てば黄玹 に対する研究がもっと活性化になるでしょう. 二番目で黄玹の思想的変 化過程をより具体的に明らかにしなければならないでしょう. 彼は研究 者に従って保守的な儒者, 改新儒者, 同道西紀論者, 穏健開化論者など多 くの主張が行き違っている. したがって彼の思想的変化に対して時期を 区分して把握する必要があるでしょう. 三番目で黄玹の学問を史家と詩 人で分離して把握するよりは詩史一体の観点が必要だと見る. ひいては 彼が当代史を重視して節義詩を重視した学問的傾向がどんな過程を経っ て定立されたし,彼の学問的継勝に対してもたゆまぬ関心が必要だと思う. もう黄県の殉国100周年を基点で新しい観点による研究がもっと活発に成 り立つのを期待する.

목차

Ⅰ. 머리말
 Ⅱ. 황현의 저작물 간행
 Ⅲ. 황현에 대한 연구현황
 Ⅳ. 맺음말
 참고문헌
 論文抄錄

저자정보

  • 홍영기 洪英基. 순천대학교

참고문헌

자료제공 : 네이버학술정보

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