원문정보
초록
일본어
この論考は金禹昌の後期批評,特に正義と正義の条件という著作に対して論ずっている。戦後の韓国批評を代表する金禹昌の批評は今まで畏敬の対象になっているのみならず, 今は大家として認められている。しかし彼の批評が持っている魅力がどこから来ているかに関してはまだほとんど論じられていない。我々はそれを難解な書き物でみている。それでこのときの難解が内容じゃなくて形式から来ているということが問題だ。もっと具体的にいえば, それは<自由間接引用>で生じる。どこからどこまでが金禹昌の意見なのかが曖昧なので, 全体的な意味をとらえるのはすごく難しいし。しかしこんな難しさは彼の批評的(または政治的)な立場からきているかもしれない。金禹昌はすべての抽象化を退けるが, それは抽象化というのが現実的な具体性を失ってはじめて獲得できるものだからだ。勿論彼も抽象化のが現実的な必要性は認めている. それではこの矛盾はどのように解決されるのか。彼のキーワード(反省, または心修練)が登場しなければならないのはそのためだ。金禹昌における反省という言葉は<事実=心>に至るようにする作用を意味する。それでここで見逃してはならないものはこんな反省作用が目指しているのが実は肯定的な感情ということだ。彼の革命に対する批判、そして現実的な政治体制に対する守護はこれから出る。いいかえば彼は革命というのを現実を破壊する抽象的な理念ないし否定的な感情から出たこととして見ている。これは2008年のキャンドル集会に対する彼の反応からも明らかだ。しかし我々はこのような金禹昌の批評を肯定的な批評として見ることができるのか。もしかすると反省(心修練)というもの自体が否定的なものではないか。最近、彼の批評は抽象的な理念と否定的な感情を探して批判するのに填っている。しかしこれは前に行くことをやめて後ろに走ることではないか。彼に何よりも自らの批評に対する反省が必要なのはまさにこのためだ。
목차
Ⅱ. 本論
1. 난해함과 자유간접인용
2. 정의와 혁명
3. 긍정적인 것과 부정적인 것
Ⅲ. 결론 : 김우창 후기비평의 조건
일문요약
