초록
일본어
本研究では、「紅涙」の意味用法について、近代を中心に考察した。この「紅涙」は、近世には主に読本に用いられ、用例も少ないのであるが、女性の流す涙という意味用法を持っている。近代、特に明治期には実に多くの「紅涙」の例が見られ、それ以前に比べ音読みの「紅涙」が大部分を占めている点が異なる。「紅涙」は種々のジャンルにわたっていて、近世よりは近代の方がはるかに広範囲に用いられている。まず、「繁昌記」は幕末から流行しているが、事実上の幕末の作品『繁昌後記』から見られるようになる。意味用法は、美しい芸妓が流す「紅涙」であるのが特徴である。明治初期の翻訳文学にもかなりの「紅涙」の例がある。政治的性格を持つ作品が多かったが、やはり実に美しい女性が流す涙であることが分かった。日本人による小説も翻訳作品と別段変りはなく、殆んどが美人の女性や普通の女性が流す涙であった。しかし、必ずしも女性専用のものではなく、特に戦争文学で痛切の思いを表わす涙として男性も「紅涙」を流している。また、少数ではあるが評論․感想文には男性․女性を問わない中立的な表現もあった。
男性の「紅涙」の使用は相対的に女性の使用に比べ少ないけれども、小島がいうような和習ではない中国風の使い方が定着したわけではないのである。小島の意見は、用例の少なさからきた誤解であったと思われる。この現象は、現代における使用状況からも裏付けられる。
現代の人は「紅涙」に馴染んでいないようでありながらも、色々な意味用法で用いている。まず依然として女性が流す涙として表現しているが、明治期に比べ、美しいという要素は弱く、平凡な女性の涙になっている。男性が流す「紅涙」は多くはないが、注目すべきは「日本人の紅涙」「国民の紅涙」のように、特に男女の区別をしない中立的な用法が大幅に増えていることである。また、「子女」「男女」のような共用的なものもあり、明治期の用法(幸田露伴)を引き継いでいるとも言えるが、大幅に増えていることが異っている点である。このように男女を問わない用法の多様化が進んでいる一方、「紅涙」とつながる述語は「しぼる」が大部分を占めていて画一化の様相もみられる。これは、ネットからの抽出であるので、明治期の文学と直接的に対比させるのは無理があるが、「紅涙」の使用の流れを把握することはある程度出来たと思われる。このように、「紅涙」はひっきりなしに変容していることが分かった。
목차
1. はじめに
2. 近代における「紅涙」
3. 現代における「紅涙」
4. おわりに
【参考文献】
