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現代インド社会の特徴を表す代表的な概念のひとつとして、「多様性」というキーワードを挙げることができる。インドという国民国家をみた場合、その自然環境、人びとの属性、言語、宗教等、きわめて多くの観点において、多様な姿を確認することができる。本稿では、特に、宗教的多様性に焦点を当てて、人口規模的に差異はあれども、多くの宗教がみられ得る現代インド社会が直面している、宗教をめぐる状況と課題について考察を行うことを目的とする。 インドの宗教は、人口規模的に最多数であるヒンドゥー教(約80%)を筆頭に、イスラーム、キリスト教、シク教、仏教、ジャイナ教等、きわめて多様な姿を認めることができる。インド憲法のなかに「世俗主義(secularism)」が謳われているが、インド社会の文脈においては、西欧社会にいう政教分離主義に基づいた厳密な意味での「非宗教主義」ではなく、多様な信仰および宗教的実践を尊重する「宗教的多元主義(religious pluralism)」に近いかたちが考えられていると認識されよう。事実、インドの政治史․政治状況をみても、宗教的なるものが政治の分野から完全に排されていることはなく、むしろ、「多様な宗教の共存」(とりわけ、少数派宗教への配慮)にその意が尽くされていると考えられる。本稿では、この「宗教的多元主義」が、現在、どのような状況にあり、またどういった課題を有しているのかについて、考察を進めていきたい。 インドの宗教を考える上で留意すべきは、植民地近代という時代経験である。イギリスの植民地下において、インド社会はさまざまな側面において大きな変容をみせることになるが、とりわけ、それまで人びとをゆるやかに括るものであったカテゴリー―特に宗教的カテゴリーとカースト․カテゴリー―が、明確化․固定化․実体化され、またインドの人びと自身にとっても強く内面化されることになった点を指摘することができる。すなわち、いずれの宗教においても、植民地政策に呼応するかたちで、それぞれの宗教の境界が明確化され、各宗教の独自性が強く主張されるようになったのである。これは、近代以前の習合的な宗教関係のあり方と大きく異なる状況と捉えられよう。 現代インド社会においては、上述した植民地近代の経験により明確化․実体化をみた宗教的カテゴリーに基づいて、宗教間の争いが頻発する様相がみられている。すなわち「コミュナリズム(communalism)」と総称される問題である。コミュナリズムは、宗派主義を意味し、特にインドの文脈においては、多数派のヒンドゥー教徒とその他の宗教徒、とりわけムスリムとの間の対立․紛争を指す。インド国内におけるコミュナリズム問題の深刻化は、ヒンドゥー․ナショナリズム(ヒンドゥー至上主義)の興隆と密接に関連する。具体的には、1992年のアヨーディヤー事件、2002年のグジャラート暴動などを代表的に挙げることができる。 ヒンドゥー․ナショナリズムの台頭と関連した近年の動向のうち、本稿では、特に「改宗」をめぐる二つの動きに着目する。すなわち、「改宗行為を禁ずる(あるいは制限する)」ものと、「再改宗」を推進するものである。いずれも、「改宗」という行為と相いれないヒンドゥー教の特徴と関係する動向であり、多数派たるヒンドゥー教徒が恐れる少数派との逆転現象―自らの社会における優位性の喪失―が根本に存在すると考えられる。ここに、「改宗」をめぐって政治性と宗教性が錯綜し、人びとの宗教的属性と宗教の境界に、政治性が強く影響を及ぼしているさまを確認することができる。 以上を受けて、ローカルな場における宗教の境界の交渉を、仏教徒の事例から考えてみる。紀元前6~5世紀頃に北インドにおいて発祥した仏教が、盛衰を経て、現代インドにおいて再興をみているのは、インド社会において、長らく厳しい被差別․被抑圧の状況におかれてきた「不可触民」とされる人びとが、ヒンドゥー教から仏教へと改宗していることに大きな所以がある。この仏教再興の重要な端緒となったのが、アンベードカルという人物の改宗である。自身「不可触民」カーストに出自を持つアンベードカルは、平等主義と道徳に根ざしたより良い生を求めて、1956年10月14日、仏教へと改宗を行った。 アンベードカル以後の仏教改宗運動は、各地域においてさまざまな組織を形成しながら、多様に展開されている。アンベードカル自身が1955年に設立したインド仏教徒協会をはじめ、グローバルにその活動を展開するものとして、イギリス人僧侶サンガラクシタが1978年に設立した「三界の仏教徒大僧伽の友の会(Trailokya Bauddha Mahasangha Sahayaka Gana)」や、日本人僧侶である佐々井秀嶺の精力的な活動も挙げることができる。 最後に、実際の仏教徒の暮らしの様相を、北インドのウッタル․プラデーシュ州の一村落の事例からみてみたい。村落においては、日々の暮らしのなかで、仏教的な宗教実践が頻繁に行われているわけではない。ただ、年中儀礼であるブッダ生誕祭/入滅祭やアンベードカル生誕祭には、村の仏教徒が集って、盛大に祝祭儀礼が行われることになる。しかし一方、ヒンドゥー教の祝祭礼であるホーリーやディーワーリーなどにおいて、ヒンドゥー教徒とともに祝祭儀礼に参加する仏教徒の姿も認めることができる。現代インドにおいて、仏教徒の人口は1%にも満たない少数派となっている。そうしたなか、親族․姻戚関係や地縁関係といった他者関係において、時に宗教実践や生活実践を「合わせる」ことは、必要不可欠な所作であると考えられる。 仏教徒のほとんどは、ヒンドゥー教の枠内における父祖から続く積年の被差別的処遇への異議申し立てや抵抗として、そして平等主義への希求から、仏教への改宗を決意した。こうしたことから、信仰的には、ヒンドゥー教の否定という立場に立つ。しかし、実践の面では、より良い他者関係を保持するために、時にヒンドゥー教的儀礼にも参加している。現代インドに生きる仏教徒たちは、平等主義に依って立つ仏教徒であるという強い信念と自負心のもと、自己の尊厳を確保しつつ、他者関係を―そして宗教の境界を―交渉しながら、日々の暮らしを送っているといえるだろう。


In this paper, we examine the religious pluralism in the Indian society, which is characterized by diversity such as thought and culture, and the present is based on Hinduism as well as various religions such as Islam and Buddhism Although these religions are politically protected, they are experiencing many conflicts and conflicts in their actual lives. Between Hinduism and Islam, there were multiple religious conflicts and conflicts, and Buddhism, which is only about 1% of India's religious population, is not in conflict with other religions, As a result, it tends to try to realize the spirit of pouring into the Buddhism of the lower classes, such as the incapacitated people, and gradually increasing in the modern age There were also some excellent political leaders such as the Ambassador. In the northern part of the Shuochu region, there is a phenomenon that attempts to solve the harmony with Hinduism, even though the Buddhist teachings are largely passed on to Buddhist teachings collectively. Buddhism in Japan believes that more people will be displayed even in India.