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本稿は、川端康成の『不死』(1963.8)における主題と生死観について、考察したものである。本作品は樹木の精霊世界での愛を歌うことを中心に描かれている。そこは根源的な生命力が溢れる自然への回帰を意味するわけである。本作品の主題は、自然界である樹木の精霊世界で生死を超越した、永遠の愛を謳歌したものと考えられる。 本作品の主人公である老人、新太郎の生死観は、死後の生を信じて樹木転生による霊的世界での愛を歌う<植物精霊思想>と、人間や樹木などはすべて精霊によって、統一されているという<万物一如思想>を根幹にして成立していく。 信太郎は、お互い別れるしかなかった恋の痛みが耐えられなくて海に身を投げてしまった、昔の恋人を懐かしんで自分も、その浜辺の断崖で自殺しようとする。しかし、先に自殺した恋人みさ子の霊が現れ、絶対に死んではいけないと言う。その理由は、新太郎はこの世で彼女のことを覚えている、ただ一人であり、新太郎が死ぬということは彼女が永遠に死ぬことと同じだ、というわけであった。彼女は、この世に自分を覚えている人間がいるかぎり、生きていると信じている。新太郎とみさ子は、人間の記憶に残っていることによって、永遠に生きていけると思っている。彼らは、記憶を通した「永生」とか「不死」を信じている人間である。 今はゴルフ場に変わってしまったが、昔、新太郎は、森林を所有していた。しかし、彼が東京に行く時に、売ることになった。ただ、その売買には三本の大木を切らないという条件があった。どうして、このような条件が必要だったのであろうか。その大木は新太郎の家の象徴なのである。祖先がしてきたように、いつまでもその大木を見、記憶していきたいという思いが新太郎の中にもあった。新太郎とみさ子はいっしょにその「大木」の中へ消えて、二度と現れることはなかった。二人は「大木」の中で、幸福な生を営んでいくということである。 彼らの死後の霊が「樹木」の精霊になり、「樹木」の中で棲んでいる。その精霊は、再び「樹木」に顕現して、その「樹木」がこの世の人間に示されているということである。彼らの霊魂は「樹木」を媒体にして表現されている、一つの自然の芸術品なのである。芸術の本質は表現である。鑑賞者は、その表現を通して覚えていく。そして、芸術作品は鑑賞者がいるかぎり、「記憶」を通して永生していくということである。新太郎とみさ子は、<芸術的生死観>を持っている人間であり、「三本の大樹」を一つの芸術品と見なしているのである。 川端自身も、『不死』の主人公である新太郎を通して確立した、このような<芸術的生死観>を堅持しながら、彼の晩年の創作活動を盛り上げていったというように考えられる。彼はこのような<文芸的生死観><芸術的生死観>を基にして、自身の創作活動を広げていこうとした確実な信念があった作家に違いない。