초록 열기/닫기 버튼

日本の東北地方には、韓国の「地蔵本解」のような死と再生を期待する、「死者鎮魂儀礼」、「動物の犠牲儀礼」のような口寄せ巫女などの巫覡による祭文と儀礼が先行して存在したこが考えられる。それが東北地方の牧場、狩場という特殊な環境、馬の産地、馬への信仰とそこに常住していた巫覡の徒(口寄せ巫女、陰陽師系の修験山伏、博士、占い、舎人など)によって、中国・韓国の「馬娘婚姻譚」のような馬と娘を主題とした物語が後から取り込まれ、馬と娘との深い情愛が強調された「オシラ祭文」が誕生したと言えよう。日本の「オシラ神」は自分の身を自ら殺して最後には蚕神となって人間に豊穣をもたらすという、死と再生を繰り返す蚕の自己犠牲的な側面を持っているが、この思想は韓国の「地蔵本解」において、地蔵姫が自己犠牲側面を持っている蚕神になり、また悲運にもなくなった家族を救済するために自ら地蔵神になり、死者をあの世に無事に送り届ける神となる。そして死んでからは鳥に転生するという再生思想に通じるものである。地蔵姫は死んで鳥になるが、「オシラサマ」も鳥としての性格が濃厚である。「オシラサマ」の神体には、頭部が「鶏頭」の形をしたものがあり、巫女のイタコによる「オシラサマ遊び」を「鳥の遊び」と見なされていることから、「オシラさま」も死んで鳥になった「地蔵姫」と対応する存在であった。地蔵姫の波乱万丈の苦難․流浪を語る「地蔵本解」は、自ら地獄に入り、民衆の苦を代わって受ける地蔵信仰が背景にあり、日本の「オシラ祭文」もこうした地蔵信仰と深く関って伝承されるものであった。