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本論は沖縄の八重山小浜島の祖先祭祀、「ソーラ」行事という事例をその基盤にしながら、沖縄における祖先観及び祖霊観に対する従来の研究を再考し、新たな議論を目論見、論議の幅を持たせるために作成されたものである。その要点はまず、祖先祭祀はそれと関わる儀礼の手続き終了とそれに伴う位牌や骨の処理を通してのみ完結していないことを明らかにする。その中で、赤嶺の議論を踏まえると「祖霊よりカミへの昇格」という問題設定が一元的であったため、祖霊とカミという観念的領域と儀礼的諸手続きの現実的諸領域との間に生じる齟齬を整合する余裕を持つことができなかったと受け止められる。これらの問題をめぐっては、祖霊のカミ化という《段階説》あるいは《祖霊中心的世界観》というべき側面と、《頂点説》あるいは《カミ中心的世界観》とも言うべき側面のすれ違いが存在するように思われる。というのも祖先祭祀において「遠い祖先」と「近い祖先」の持つ「個性有無」というバイアスが時間的連続性や系譜的把握システム(ここでは、族譜に示されるような何代にもかけてその個性が書き記され、認識できるシステム)の有無にもかかっていることとも関連していると思われる。つまり、両者のもつ世界観は対立し続けるという観点に立てば、「近い祖先」《祖霊中心的世界観》というバイアスが大きく関わっており、両者の対立を回避する何らかの回路をもとめる観点に立てば、「はるか遠い祖先」《カミ中心的世界観》というバイアスが大きく関わっているといえよう。