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日本の陽明学と大塩中齋 -「太虛論」の思想史的背景を中心に- 林 泰 弘 小論は、こうした觀點から大塩中斎の陽明学學思想、とりわけ彼の太虛思想の背景を探ってみた。 大塩中斎の「歸太虛論」すなわち「太虛に帰れ」という主張の中には「太虛は心である」、「太虛は道である」、「太虛は良知である」という命題が内包されている。これは「太虛卽理」という概念で要約できる。こうした思想は、その以前の學者達の命題、すなわち朱子の「性卽理」、王陽明の「心卽理」、ひいては中江藤樹の「孝卽理」の思想を陽明學的な立場から繼承し、克復したものとして把握できる。と同時にその太虛の概念は、中斎の段階に至って、「心」・「陽知」・「道德」という抽象的な槪念に変り、その實體性を喪失するようになった。 こうした太虛論は、中斎が生きていた江戸時代の学問的風土と非常に密接に関連している。それは當時の学者達の批判的でかつ自由な学問の雰圍氣や、より前の時代に学問の根拠を探そうとする精神から影響を受けている。たとえば、中齋の太虛槪念には、朱子学の源流として評価されている張載の「太虛」に対する本格的な再解釋が試みられていた。張載の「太虛」は、その基本精神が、太虛自体が気によって充滿している實在であることを前提にしていた。これに反して中齋の太虛は、その實體性が喪失され倫理的な德目に變貌する。こうした傾向の上に、陽明学の基本思想、すなわち心学的な立場から事物を思惟する思想が結合されたのが大塩中齋の太虛論であったと言えよう。