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1828年に発刊された<竹島考>は竹島周辺の利権に対する排他的独占を思う鳥取藩の思考を反映した記録で、日本人の渡海を禁じた禁止令が解除され再渡海できる状況を念願する思考を正当化した内容である。岡嶋は地域の利益を重んじ朝鮮の立場などを考える余裕を持つに及ばず、往昔からの倭寇の侵奪や日本の侵略を反省することより、それらの蛮行から竹島に対する正統性を求めようとしていた。その思想に基づいたのが<竹島考>や<因府年表>である。彼は古記録や伝承に関心が多く、明確な資料で立証批判し、論理に基づく著述家として評価されることもある。自らも諸家の私記稗說を採り、故老の口碑を聞き集録したものが積ったと言うほどであった。彼は人の記録を酷評することも迷わなかった。<伯耆民談記>を巷の説を深診詳糺しない犬吠のようだと評し、<因幡志>の内容は論の対象にも及ばない謬說だと片付けた。しかし<竹島考>を見る限り充分に読んでいないし、諸資料を深察詳糺した痕跡も見えない。幕府が鳥取藩に問い合わせをするなどの事実確認過程をへて発令した竹島渡海禁止令をも朝鮮人の嫉妬や姦計の結果と断定するところに至ると、かれはもう記録者としての資格を喪失する。かれは至るところで事実を歪める方法で自分の願う結論を出している。それが不朽の幸福に繋がる道だと判断したらしい。