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本稿は、日帝強占期間に(元曉, 617-686)という人物が特別に目立った理由、そして当時に成り立った‘元曉表象化’が持つ歴史的意味を省察することを目的とする。この論文では、日帝強占期(1910〜1945年まで)に限定して、主にこの時期の仏教系関連資料に基づいて‘元曉再照明’の様相を述べた。今までの元曉に対する研究及び論議は、韓国の歴史的政治的状況や影響によって、主に民族主義的観点から進められてきた。ここでは可能な限りこのような観点から脱して元曉を巡っての日韓両国の隠れた知的論理と時代的要求の背景などを論究してみた。日帝強占期に、特に元曉が韓日両国の学者及び仏教系人物によって再照明されるようになるのは、植民地という特殊な時空間が元曉という特定人物の表象化を要請したからである。元曉は唐に留学せずに独自的思想体系を確立した人物である。この点が強調されたのは、植民地支配下における民族的自尊を鼓吹しようとした意図による面もある。そして彼が‘新羅’や‘護国’の象徴的人物に描出されたのは日帝強占期の宗教と文化を含む主要懸案が国家存立と密着していたことを示唆する。以上のようなこと‘元曉表象化’の持つ歴史的意味は色々ある。これから、この論究を踏まえて元曉研究が一層進めばと思う